「不偏不倚[1]」「過ぎたるは及ばざるがごとし」「中庸をいう」というではないか。しかし、この中庸になるのは非常に難しいことであるが、資産相応の自分分限を知らなければどうしようもない。それを理解しないでいることは、桝を持たないようなもので、どうやって容量を量ろうというのか。分量を理解していなければ、畜生と同じと言われるだろう。

 

自分は賢いんだと二間[2]の小屋で三間の槍を使うようなもので、人は理解できない。理解できない上に、その嘘の話を知って、たまたま本当の話をしても他人は相手にしないようになる。

 

その中でも十貫目[3]の金額を、三十貫目や四十貫目にもいい、また百貫目を五百貫目に見せるようにして、他人にそう思わせる商売方法であるが、こういうのは言わないでそう思わせるのが究極の業である。そういう事ではない。

 

ここで言おうとしているのは身分不相応に大げさに言って、人はそれを受け入れるかどうかは分からない。何でもかんでも多く言って人は理解できるだろうと考え、馬に角を生やすようなことを言ってみたり、針ほどの小さいことを臼ぐらい大きい物のように言う。石臼に蜘蛛の巣がかかっているようなものを、出まかせに言うときは、身分によってはその罪は免れることもあるが、予期せぬ時にそういう話をする人だと知って、実際のことをもって頼んでみても人は受け入れないものだ。必ず大げさに言うことは控えるようにしなさい。

 

たとえ、これほどまでにはいかないにせよ嘘をいう事が好きな人もいるものだ。知恵のある人から見れば恥ずかしいことで益はない。しかも、益がないだけではなく、商売の妨げになるものだ。人は愚かなものだと思ってはならない。智恵があるものだと思いなさい。それ相応の人が理解する話なので、恥ずかしいことだと思って改めなさい。

 

それでも改めずに嘘の話をするときは、まれに騙される人もいてがっかりする人もあるが、多くの人は相手にしない。相手にしない人が多くなれば、悪名が広がって、嘘つき野郎と呼ばれるようになって、何をするにも上手くいかないようになり、最終的には破綻すると思って慎み、自分の能力を知って実義をもって商売をしなさい。実義で商売をしてもそしりを受けず、財産を百貫目を三百貫目や五百貫目に見せるようにするときは、ますます金持ちになっていくものだと思っていなさい。

 


[1] 依怙贔屓しないこと

[2] 1間は約1.8m。

[3] 一貫は、100両。1両は米価から計算した金1両の価値は、江戸初期で約10万円前後、中~後期で4~6万円、幕末で約4千円~1万円

 

昔やたらと知識をひけらかす人がいました。これは「アメリカ流のやり方で・・・」とペラペラしゃべり、話を聞くとそれって日本で始まった話だよみたいなことや、「現象学はもう制覇した」と言いつつ、何にも分かっていないのがいました。挙句にNOVAで英語を勉強しているから英語がペラペラと。

 

はいはい。あんたそれって恥ずかしくない?と思って聞いてましたが、虚言癖って言うのは、一種の精神病らしいです。酷いのになるとミュンヘハウゼン症候群とか虚偽性障害統合失調症躁鬱病の躁状態のとき、演技性パーソナリティ障害妄想性パーソナリティ障害反社会性パーソナリティ障害が疑われる場合があるようです。彼は強烈な見栄っ張りだったので、おそらくこういう障害ではないとは思います。

 

文化的なことも原因となっているのもあるように思えます。僕は○○大学を首席で卒業し、〇〇ファンドで・・・と延々と自己紹介と称することを言うyoutuberを見たことがありますが、あれは正直って気持ち悪いです。あれを見てアメリカ人は、あいつは優秀なんだなって思うんですかね。ヨーロッパ人はああいうのを徹底的にバカにしますけど。まあ、世の中には自分よりすごいのは腐るほどいますし、意外と身近にいるもんですよ。

 

虚言とすべきか夢とすべきか。夢であると言い続けている分には、罪はないんですけどね。