人として礼儀を欠いているは木や石と何ら変わらない。君子がいう事には、立身出世したいと思うなら他人を立てなさいと言っている。だから、我というのは我慢や自慢のことで、我ばかり出世しようと思うと愚かになる。まず自分が出世しようとするのは、智恵の足りないことが原因となっている。自分のことを少しでも知っていれば、自分は出てこないものだ。他人を少しでも知っていれば、自分を前面に出さないものであるが、自分も他人も理解していないから他人のことも見えてこないのだ。自分の方が優れていると思って出てくる言葉だと思って慎みなさい。

 

私の方が賢いと思っても、賢さにも位があって一見愚かに見えて賢い人はいる。論語にも「回は愚かなるがごとし」とおっしゃられるとおりである。そうなれば、少々賢いからと言って自分が賢いと思うのは、これはまた愚かなことだ。智恵を自慢して、自己主張するのは他人から嫌われる。人から嫌われるときは大きな商売の害になるので、仮にも自己主張ばかりするよりは、人に譲るようにした方がいい。参詣や見物会の良い席は他の人に譲ってやりなさいよく見える所にはご挨拶するようにするとき、こういうのを譲というものであって、どんなことであっても良い場所に人を案内してやるようにしてやれば、その人も志がよくその名も正しく、世間で繁昌するのは確実である。

 

自己主張が過ぎる者は、自分より優れている者を嫌う。自分より優れている者に対して、自分を主張するのは出来ないものだ。自分よりも賢く、どんなことでも知識があるので、付き合いながら自分の知識にしていった方が得ではあるが、自分が目立たないので嫌うのだ。

 

こういう状態になったら、心を鎮めて改めて慎みなさい。我を張る商売をやめれば、次第に繁昌はしていくはずだ。

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これはあくまでも接客の場合ですからね。物の設計やら医療では、とことんやってください。会社経営でも方向性を決めるときにはトコトン議論してください。

 

ただここで注意すべきは、単に価値観の応酬では無く、証拠に基づいて議論してくださいね。日本人はどうも議論すること古語では「あげつらう」と言いますが、嫌われる行為です。頭のいい人はちゃんと論理的に話せば、理解してくれます。

 

あのときああだっただとか、そのような恨み節で言う人がいますが、そういう人からはさっさと離れましょう。その上で、責任者が決定したならいつまでもぐちぐち言わないことです。