昔の話に、京都に近い八瀬の里[1]付近に絶世の美女がいた。見た目が美しいだけではない。絲竹[2]の曲も上手で、大内の身分の高い人に常に呼ばれていた。また町屋の裕福な家から彼女を招いて可愛がっていた。

 

ところがこの女性はすぐに嫌われて家に帰えされるようになった。思うように生活することはできなくなった。ある秋の夕方にぼーっとしていたところ、私ほど美女はいないはずなのに、特に演奏が上手いのにこんなに寂しく暮らさなければいけないのはどういう因果か。と悲しくなって寝込んでしまった。

 

風に揺れる稲を見ながら、充分に実ってうつむいているのを見て気づいた。本当に誤りだった。昔の人の言葉にも人も実がつくときは上向き、稲が実るときはうつむくというではないか。世の中全ての美食珍味を食べても、日常の食事をしなければ飽きるもの。日々食べて、身分に関係なくあらゆる人に呼ばれて喜ばれるのは稲の徳である。その徳は自分に実が入るにしたがって、頭を下げてへり下り、少しも威張ったりしないからこそ世の中の宝となるのだろう。

 

自分が他人に嫌われるのは、全く自分が知らないうちに美しいだの芸が上手いだのと威張ってみたりで、頭を下げずにいるからだとはじめて分かった。このときから、自分の名を稲と改めて、人が誉めれば慎んで頭を下げ、人が批判すればますます頭を下げ、ひたすら謙遜を守りへりくだった。すると世間の人は可愛がるようになり、子孫はめでたく出世鯉となったという。

 

特に、女はなおさらへりくだり、姑や姑父母に従い、少しも自分を通すことなく慎みなさい。


[1] 京都市左京区の各町を包括する広域地名

[2] 弦楽器と竹を使った管楽器。

 

就職活動はとっくの昔に終わったと思いますが、こういう人は会社は絶対に採用しません。実際にあった話です。

 

資格試験はそこそことってきました。面接のときに、学生時代に何をしてきたのか?の質問に、「ひたすら勉強してきました。この資格の数を見ればわかるでしょう。」と答えてきました。

 

言葉尻だけでなく、態度もふんぞり返ってこれだけの資格があるんだから文句はないだろ?と言わんばかりの態度です。面接に当たった人は全員最低点を付けました。上司から、いつも採用しているところからこのレベルの成績で資格を持っている人を落としたら不味くないか?とも言われましたが、そのまま不採用になりました。

 

何故かわかります?

 

正規採用となればこれから何年一緒に仕事しますか?人事異動で多少入れ替えはあるとはいっても、10年以上一緒に仕事をすることを考えればどれだけ成績がよく、どれだけ資格試験を持っていても一緒に働くのが嫌になるような人は採用しません。他の人の生産性を下げるからです。

 

その言葉を聞いて上司も採用不可にしました。

 

ともあれ、今日の物語の人は理解できて良かったですね。