近年の日照りや水害に続き、諸国の災害あるいは山津波など、その災難からの復旧を聞くと実に哀れである。特に山城国に近い河内や近江等目の当たりにして見聞きするように、米穀の作柄が悪く困窮困難な状況がこのところなかったぐらい稀である。おそるべし。これは皆都会に住む者たちが遊びに耽り奢りを増して、飲食を貪り五穀の大恩を忘れるからであり全て天が罪を責めたからである。一人一人が冥加を思い身を慎み、有難い世であることの恩を忘れないように心得れば、豊饒の元となるだろう。

 

御上から度々教戒に心を尽くし、風俗を正しくし物事を質素にして倹約を守り、それぞれの分限を弁え奢りがましいことをせず、いつまでも諸国から都に上って土地が繁盛するようにと、お慈悲のご教訓を下していただけることに感謝し、尊いお示しを守り心掛けなさい。そうすれば衣食ともに奢りがましいなりふりを勝手に任せるものがいれば、愚かだとは言わない、法外だ。身を省みないことではないか。いつまでも相変わらず繁盛を願うならば、悪しき風俗に染まらず、遠国近国田舎の人々に良いことを語り、悪いところに誘うことなく、礼と謙譲を旨として畑仕事の働きをよくやった結果だと思い苦労に感謝すれば、自然と驕りの風俗も映ることはない。畑仕事に油断なく力を入れて米穀の出来が良く、豊饒の元となって豊かに生活ができるだろう。古い言葉にも世界は皆兄弟とあるが、それぞれの職業の苦労をよく理解して、無駄遣いを止めればいいのに、勝手なことを始めて、気ままな生活をして御上の御慈悲教えを忘れないように家業を勤めたいものだ。

 

実にありがたい時代に産まれて、日々米穀を食い、命をつなぎ、自分を知れば冥加があるだろう。一杯の飯は当然一粒の米であっても天地の恵み一粒ごとに神の教えがあるので、粗末にしないようにかつ一杯の米であってもそういった感謝もないままに食べてはならない。敬い尊んで有難く感謝して食べるべきだ。

 

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私が幼いころはご飯が茶碗に一粒でも残っていると、勿体ないと言われたものです。今では立派にメタボになってしまいましたが、これは奢りの方でしょうかね。