この世に産まれると、人はそれぞれ江天から受ける仕事がある。だから、恐れながら天子、将軍様はあらゆる政治や調整ごとを仕事とされ天下をお治めになる。諸侯は、一国の政治を仕事とされ、公卿や大夫はその官職をもって仕事となされる。それ以下の巫女や医者、楽師、農工商、様々な職業の人は、その職業の中でやらなければならないことがある。仕事がない癖に飯を食うことを粗餐という。粗餐は君子の嫌うところである。だから『詩経』の中で「あの君子は粗餐をしない」と書いてある。小人が粗餐をすれば罪を君子から受ける。君子なのに粗餐をすれば罪を天から受ける。

 

孔子は、「罪を天から受ければ祈りようがない」と言っている。恐れ慎むべきことではないか。稷丘大人がその子供に教えたことがある。「手に糞尿を受けなければ、よい農民にはなれない。筋肉が千切れるほど気合を入れなければ、よい細工人になれない。死地を踏むほど努めなければ、よい士にはなれない。肘を曲げずに司命の職や治療することはできない。」

 

こういうことから、働けば食を得られ住むことができる。人は必ず飢えて後から食を求めることを理解し、寒さを感じて衣服を求める。貧困になってから仕事の大切さに気付く。飢饉となって食べ物が手に入りにくいことに気づくのだ。

 

天変は尽力の及ばないことであるので、身を慎んで仕事を怠ってはならない。仕事をせず奢ったときは、天はその人に災いをもたらす。都会で暮らす工商の者たちへの冥加は恐ろしいことになる。耕さないのに米穀を食べ、酒を飲んで、その上身分不相応、美服美食を常に行うのはとんでもないことになる。それだけでなく農業をする田舎の人々に、いろいろと驕りを教えてやらかせると、それをよいことだと奢り者の風俗を見習い、次第に農業から疎くなり、奢りは日々増長する。だから、米を買って食べる町に住む者は米が高値になって困る。これは都会の人たちが田舎の人達に奢りを教えるからではないか。世俗の諺に「我が持ちし奢り泥棒に叩かれし」という類のものだろう。

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農民に贅沢を教えたら働かなくなる?イヤーいくらなんでもこれは今の時代は通じないでしょう。奴隷じゃないんだから。

 

むしろ私は逆だと思いますね。農業が儲かる職業であればやろうとする人たちが増えて、生産量も上がると思います。実際に、北海道の酪農はほとんど機械化されており、フェラーリ、ランボルギーニを乗り回している地域があります。

 

今は、水田や穀物の機械化があまり進んでいませんが、都内で満員電車にぎゅぎゅう詰めで何時間もかけて出勤し、車の排ガスと騒音に苦しんで生活するよりかは、よほど豊かな生活が送れます。

 

技術的には果物の自動収穫技術はかなりのところまで来ていますので、今後が楽しみです。漫画ではないですが、農業貴族という言葉が一般化する時代もそう遠くないかもしれません。