これまでの経緯を村役人に伝え、その時に太守様にお出しした通りに団子を差し出しなさいと命じた。すぐに用意させてお城にお持ちした。さっそく太守に差し出し大いに喜ばれた。太守は

「このほどの狩りでこの婆さんの団子で飢えをしのいだ。お前たちにも与える。これを食べてみなさい。」

と与えた。この味だとお喜びになったが、二つは食べられなかった。臣下の者にどうかとお尋ねになったが、結構でございますと申し上げた。

その中に年老いた者が言った。

「太守様はよくお召し上がりになりましたな。格別にうまいとは思えませんが。」

とありのままお答えした。

「そんなことは無かろう。今食べたほどではないが、味は良かったぞ。二つは食べられなかったが。これは何の団子か。」

とお尋ねになったので、稗団子であることをお答えした。はるばる持ってきてくれたことに感謝して褒美と恩賞として米と銀子を与えたという。

太守が臣下におっしゃったことには、

「お前たちよ、よく聞きなさい。『周書』の無逸編に周公の言葉ある。「ああ、君子は安楽してはならない。農事の苦労を知れば、安楽にすることがない。祖先の苦労を馬鹿にすることがなくなる[1]。」とあるではないか。」

つまり、周公旦の成王を戒めて、それでは素晴らしい治世はできない。周公は摂政で、成王は天子である。それでも農家の苦労をお知りになり、安楽してせず民を治めるのに怠ることをしなかった。

「国家を治める諸侯たちは、決して男やもめや未亡人のような寄る辺のない人々を軽蔑したりしなかったし、畑仕事を行った。[2]」とある。今、これを忘れて田猟[3]に耽り、民は寒い時期に耕し暑い時期に草取りをし、風雨霜雪の中働き、星が出ているうちから働き、月が出ることに返り、ずぶ濡れになりながら、足を泥だらけにして苦労を重ね、農業をしているのに収穫した米穀の良い部分は年貢に採られ、粟や稗、糠や粃を食べる苦しみを、こんな安楽な状態で統治できようか。

小人もまた父母の仕事の苦労を知らずに、それどころか父母を侮ったうえに、昔の人は知識が足りないという。みな天を恐れないでその家を治めることはできない。身を転落させるものが多い。諫めなければならないとおっしゃると、臣下は皆頭を下げて太守の教訓に感動した。

このことが国中の農民に伝わり、農民はありがたい太守だと感じ、田んぼに力を入れて年貢が滞らないように納税し、有難い太守と思い国中は良く治まった。

農作物を作らない工商は、農業の苦労は粗食することで思い、米穀を尊むべきである。

 


[1] 原文は、「嗚呼!君子所,其無逸。先知稼穡之艱難,乃逸,則知小人之依。相小人,厥父母勤勞稼穡,厥子乃不知稼穡之艱難,」

[2] 『孝経』孝治章第八「治國者不敢侮於鰥寡。不敢盤于遊田。」

[3] 狩りに行くこと

 

目黒のサンマは遠ざかってしまいました。

 

この辺りは実に日本的です。苦労したから評価されるべきだと。マルクス主義者がいう労働価値説に近い発想のような気がしませんか?共産主義を経験した国の出身者が、自国より日本のほうが共産主義的だというのはこの辺りが原因でしょうね。

 

だからと言って、日本は共産主義者の言うような二項対立関係には持っていきません。一体化しているので、協力せよというのです。この辺りは、ヨーロッパ型経済学にどっぷりつかった人は理解できないようです。特にMBA出の人達は。