君子は足ることを知り、貪らなければ貧しくても心は豊かである。小人は財産はあっても心は貧しい。貪ってばかりいて飽き足らない。足ることを知る者は貧しくても楽しい生活を送れる。足ることを知らない者は財産があっても憂いが多い。貧賤の人が足ることを知ることは難しい。孔子がおっしゃるには、粗食で水を飲み、枕がなければ肘を枕にする。楽しみはその中にある。不義でありながら財産があり身分が高い者は、浮雲のようなものだとおっしゃっている。足ることを第一に喜ぶべきではないか。

だから飲食に奢って様々な珍味を好み、あるいは時期に合わない物を使って客をもてなし、くさびら、マツタケの類その他果物に至るまで、天気の影響を受けないものはない。

聖人の言葉であるが、『礼記』に「果物は熟していなければ食べない。」、『論語』では「時が来なければ食べない」、『書経』では「時期になっていなければ穀物はできない。」とあるだけではない。

天地が開けて四季があり、春夏秋冬の四季を受けて熟したものを食べることが、天命に従うことではないか。

例え、人の知恵を使い工夫して季節外れのものを作り出すが、秋になるものを夏に実らせることは難しいだろう。初夏に実る麦を初春に手に入れるのはもっと難しい。だから、飲食に奢って珍しい季節外れの物を好んで形の整っていない魚を何の考えもなく食べるのはいかがなものか。孔子がおっしゃった「正しくなければ割り、食べない。」というのは金言である。

だから自分が欲しいと思ったものを思ったまま熟していないものを食べる、あるいは形が整っていない魚を食べるのは病気の原因となり、命を失うことになるだろう。

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江戸時代には真冬に茄子が食べられたそうです。南斜面に石垣と藁で温度が下がらないようにして作ったそうですが、たかが茄子1つで15両のようなとんでもなく高い値段が付いたそうです。今はビニールハウスでよほど雪深くないところであれば、それほど費用をかけずに作れるようになりました。とはいえ、やはりその季節のもののほうが味はいいですね。

 

ただ、そのために重油をバンバン燃やして熱にしているのは、非常にもったいなく思います。その辺にいくらでも藁やもみ殻があるはずです。植物残渣では熱量の制御が難しいから重油を使うようですが、この辺りは早く研究開発を進めて、こういったごみでも熱源になるようにしてほしいものです。

 

ここに書いてある形の悪いものには、様々な原因があります。例えば二股に分かれる大根は、土が堅いことが原因で起きますし、茄子の二股は実が小さいときの傷が原因だそうです。なので、形が悪いからと言って畑に大量に捨てられていることがありますが、その方がよほど罪は重いと思います。B級品として売るか、せめて牛の餌にしてやって欲しいものです。

 

魚や動物の奇形を食べるのはさすがに勇気がいるでしょう。農薬やら環境ホルモンやらありそうな感じがします。