男の衣服の縮緬、羽二重、夏は越後縮の上下も麻絹龍紋、小宿、精好を用い、しかも上級品の幅広で大名様にも劣らない衣服を着るのはいかがなものか。昔の木綿、草綿[1]がないときは、庶民が言うまでもなく貧乏人で絹を着られない者は、ただ麻布をもって服とする。最初から綿がなければ、茅の穂其他の草花の穂を集めて、あるいは葛布、苧のあらくずなどをよく叩いて布の中に入れて寒気を防いでいたという。

このように今でも木綿で織って作った着物を布子と呼ぶようだ。昔の綿がないときは、万民は寒さに耐えがたく、上に仁君が治めていても、五十歳以上になってようやく絹を着る決まりがあった。それより年下の者は絹を使ったり真綿を入れることはできなかった。

人が多くなって蚕を飼っても多くの人にいきわたらない。幸いに木綿や草綿を作ることができて、下民の衣服がそろい着られるようになったことは、誠に天恩のおかげで有難いことである。

布は夏服と定め冬は木綿を織って衣服にしてその中に綿を叩いて入れて、体を温めるだけではない。その布や木綿は荒いと言っても、下々の者は身分を忘れ、絹縮緬や、羽二重あるいは錦の類を着るようになったのは、身分を弁えていないというしかない。

『孝経』の注釈[2]には、「賎しい身分であるのに貴き服を着ることは、身分を越えて出過ぎた振る舞いである。この出過ぎた行為は不忠である。高い身分の者が賤しい服を着ることは、下との間が狭くなる。下との間が狭くなるということは位を失うことにつながる。」とある。考えなければならないことだ。

 


[1] アオイ科の一年草。

[2] 原文は、「故賤服貴服謂之僭上僭上為不忠偪」

 

女性の衣類にかんする執着からすれば、男性のものはたかが知れています。

もっとも男ばかりの職場になると、見事なまでに着るものに頓着しなくなりますね。大学でも女性の多い文学部と男ばかりの工学部では見事なまでに雰囲気が違うことに驚いたことがあります。

私も着るものには頓着しないのですが、あまりにも無関心でいることは却ってよろしくないと書いてあるようなので、少しは気を遣いたいところではあります。

 

女性のおしゃれから延々と高いものについて著者は文句を言い続けていますが、私はそこまでは同意できません。今の時代で見てみると、安い商品ほど長持ちしないのです。安物のセーター一着4000円ぐらいと一着2万円のものと比較すると、4000円ぐらいのは2年と持ちませんでしたが、値段がそれなりのものは10年以上使えました。ロゴがついていなくても、見る人が見れば高いとすぐにわかりますし、長持ちしたことを考えると手入れしてやれば、高い方が費用対効果は高いように思えます。

 

2万円でも十分に安いと思いますけどね。