衣食住はなければならないものではあるが、その身分を考えずに下賤のくせに農工商の身分で美服を好んで身を飾り化粧をしてみても、その衣服の元を知らないだけでなく自分の身分を弁えず、我を忘れて美服を着て父母を笑わせることになるだろう。

衣服にはそれぞれの身分に合ったものがあるが、下民の者が都会に産まれ、上様の官服に見慣れてこれを真似て自分の下賤で大したことのない体を包むのはどういう心構えか。

父母の退屈な説教によると、寛永の頃までは衣類も帯も身分ごとに限りがあって、帯も金襴を上品として、黒地に松梅桜を所々に織りをつけていた。これを鉢木の帯と名付けて、広さはわずかに鯨尺[1]で二寸[2]ばかりを芯にして綿を入れなかった。四月から八月まで女性の礼服には綿を入れ、広さはわずか八分ほどのを後ろで結んで垂らすのをつけ帯という。

最近のつけ帯は昔の物より幅が広く、縮緬を丸巾にして鹿の子を結ってもようにして好みに応じて様々な色にした。縫わずにそのまま使い、しごいて帯と名付け、あるいはビロードや錦の類を使い、帯の幅も貞享・元禄の頃から広くなっている。鯨ざしで八か九寸場合によっては一尺あまりだったが、貞享の頃から二尺にもなった。今は二尺七八寸三尺になり、地面を擦っているような状態だ。

髪型も寛永の頃までの女性は古い麻縄で結んで、黒い布で巻いて、洗って長く使っていた。その後から紙で結うようになって、越前の国から粉紙で元結紙というものを作り出してから、様々な元結をしだして糸巻きのトンボ、金銀の水引、尺長五色の染紙の鹿の子縮緬でくくり、貧乏人でさえも用いた。

平和な時代であっても贅沢すぎないか。

 


[1] 和裁用の定規で、鯨のひげで作られたのが語源。

[2] 鯨尺の場合7.2cm

 

五歳児の女の子が、クリスマスプレゼントにマニキュアが欲しいと言い出したのには驚きました。「プリキュア」かと思い何度も聞き直したくらいです。女性のおしゃれはフェミニズムの人達に言わせれば、「男が女性に強いてやらせていること」らしいですが、どう思います?男性が五歳児に強制した結果なのでしょうか。遺伝子行動学的に埋め込まれた行動にしか見えませんが、彼女たちの理論によるときっと男性が遺伝子レベルにまで強制した結果なのでしょう。男性とは極悪なものですね。

 

さて、一時期有名になった名古屋嬢とかありましたね。失われた20年間にだいぶなりを潜めたかのように見えましたが、また似たようなのが発生してきています。彼女たちをみていると見事としか言いようがありません。自分で稼いだ金でもないのに、よくぞそこまでと感心するばかりです。借金しない範囲で自分たちの間で楽しんでください。男性はドン引きするだけですから。

 

たまに地下鉄やバスに乗るときに50万円以上もするような財布を出している人がいますが、そういうのを使うのは御貴族様であって、庶民が乗るような公共交通機関で出していると、海外だと確実に強盗に遭いますからね。