負うた子に教えられた。私には息子がいる。ある日、洛東の吉田山[1]の社[2]に参詣しようとして、息子を連れていった。時は秋の末で山に登り、四方を眺めた。誠に太平の時代で、京都の町住の工商の者が多く幕を枝に引っ掛けて張り毛氈[3]を敷いて酒や魚を携え、あるいは舞妓を連れて酒宴をして戯れている。遊び楽しむことが羨ましく思ったが、よく考えてみれば今年の秋の末には農業では米の刈り入れ、昼夜を問わず稲をこき籾を擦り、俵を作って一日も早く地頭に納めようとする。我々は商家であるので、大して時を違わず地頭様へ差し上げることもなく、その秋の日の短いことも気にせず、山に入って楽しむのは罪ではないかと思ったので、早々に我が家に帰る途中で田畑を眺めた。農家には籾を干して摺りなどして身に力を入れて田には稲を刈ってこれを運ぶ。

「あれを見なさい。農家の働きは百穀を植えて実るのは、皆農民の働きのおかげではあるが、お前は天と地の恵みがなければ生まれてこなかった。大根一本であってもみな天地の御恵みがなければどうしようもない。その上農家の力で大抵のことではない。」

と言い聞かせた。息子は返事もなく聞いている様子もなかったが、足がくたびれた五歳の事で、

「負ぶってくれよ」

と言ってきたので肩に載せた。

日も落ちて夕日の頃に近づいたので、家に急いだ。息子は背中に負われて唱えていた。

「地はもったいない。石の上を歩いて。」と口拍子で唱えていた。しばらくして考えた。

天からの恵みで地がこれを保ち、あらゆる一切の天地の恵みを受けない事ご恩を思わないことは一日もない。地面では何でも植えられる。だから足で踏んでその地の高恩を思わないわけではないが、商売人の子に産まれて自分の家だけであればそれほど気にはしないが、息子の唱える土の上を歩くのはもったいないから石の上を歩いてという教えを心にとどめれば、足で土を踏んで大恩を計り知れないことを思う。

 


[1] 京都府京都市左京区吉田神楽岡町にある丘。

[2] 吉田神社のこと都市左京区吉田神楽岡町30番地

[3] カーペットの事。

 

今やどこもかしこも舗装道路だらけになってしまいました。今舗装されていないのは、よほどの山奥か大きな河川ぐらい、その河川も護岸工事で本来の地面が見えるところが少なくなってしまいました。

自動車での生活を前提としているのでこうなってしまったのは分りますが、考えてみればこれだけの面積を舗装するだけのアスファルトを使ったわけでして、その量はどのくらいになるのでしょうか。