この本を書いたきっかけは農業の苦しみに耐え、私が書籍を扱う中で身命を養うと言っても、文を書くことを学んでいない。そうであっても、父は文を好み朝晩聖人の言葉を教訓にして、穀恩を忘れてはならないと教えを受けた。

今近江の水害を聞いて父母の故郷を弔い、道中の惨状をみると農業の苦しみを考えてみれば、日々の米穀を食べ、命を保つありがたい物である。冥加を恐れて、帰り道に洛東の粟田口日御山神明宮[1]に参詣し、お願い申し上げた。私はつたないみであるが、書籍商の家に産まれ文を学ぶ暇がなかった。それでも父母の教えがあったので、米穀を日々食べて命を養い、食に飽きて美食を好むようになり、米穀の恩を忘れやすく子孫への教えるのは難しい。下手な文章も恥じず、父母の遺訓を伝えるために本にしようと、神明に願い筆をとり、やっと本になった。

子々孫々に至るまで神明に御礼を怠らず申し上げなさい。また、父母の遺訓を忘れてはならないと書いた。友人たちは出版したほうがいいと勧めてくれたが、文が下手であるのが恥ずかしかったが、それでも友人の鷦鷯春行[2]の勧めもあって、ついに出すことにした。

 


[1] 現在の日向大神宮のこと。京都市山科区日ノ岡一切経谷町29にある。

[2] 佐々木春行(ささき はるゆき1764-1819)のこと。通称は銭屋惣四郎。江戸時代中期-後期の書籍商で、故実考証に通じ,上田秋成,伴蒿蹊らとしたしく,「近世畸人伝」などを刊行。

 

まるで最終回のような本文ですが、まだしばらく続きます。

 

本を書くことは意外と大変なんですよ。自分ではいいと思っても、それに需要がなければ出版社は見向きもしません。その上、こういうブログが増えてしまったので、なかなか一般人が本を買わず、初版で3000部売り切るのが難しい時代なんだそうです。

 

この当時はどんな売り方をしていたかはわかりませんが、寺門 静軒の『江戸繁昌記』を出すときは、代官所に届けて発行許可を得ると、出版社が20両ばかり出して刷る権利を買ったそうです。売れれば儲かるというものではなく、買い取り制だったようです。

 

実際には、代官所を通じないでゲリラ的な出版もあったようです。代官所も取り締まり切れなかったみたいですね。

 

私もそろそろこの心学ネタで出版したいものですが、どこか受けていただける会社はないものでしょうか。