深い山の家では木の皮を削って食糧にするところもあると聞く。その中でも松の皮を食料の代わりに良いと聞く。その製法は松の皮を削って粉にして、水に浸してあくを抜いて干して後、蒸し団子にして食用にするという。その他、外国でその土地ごとの製法で様々な雑食をして命をつなぐ。

飢饉の年は竹が実を結ぶ。これを「じねん子」という。この実をとって、熟飯にするときは飢えをしのぐ食べ物の代わりになる。誠にありがたいことに、農作が悪ければ、天はまた実を結ばせていただく。本当にありがたいことではないか。

ほとんどの町家住まいの工商を営む者は、農耕の苦労を知らないだけでなく、美食を常として驕る。飢饉になってから急に倹約を始め、様々なものを食うので、後々病気となるきっかけとなる。死ぬものも少なからずいるので、どうか普段から驕りをやめたいものだ。

諺に、「父は糟糠を甘んじ。子は膏粱に飽き、孫は遺糧を拾う」とある。いわゆる、俗にいう親は苦労して、子供は楽をする、孫は乞食をするという。良い戒めではないか。

飲食を程よくして、朝夕の口腹を潤すだけで、倹約をしたいものではないか。

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幼いころ歴史ドラマで、敵に周りを取り囲まれて籠城し、飢えに苦しんで松の皮を食べるシーンがありました。そんなもん食えるのかと思ったことを思い出しました。あのシーンは間違いなかったようです。俳優さんは全く痩せてませんでしたが。

ともあれ、松はフラバンジェノールという物質でポリフェノールをため込む性質があるようで、今では化粧品、健康食品の一つになっているようです。

今の時代、こういうことがないとは決して言いきれません。天明の飢饉でも浅間山の噴火で起きたことですし、1993年の米騒動はフィリピンの火山が原因で起きたことです。金があれば世界中から食料を輸入できると言っても、地球規模で起きた場合はそうも言ってられませんからね。