京都にも昔飢饉があって、その時は辻々に行き倒れた人が死んで、家ごとに枕を並べて飢えに疲れ伏したまま起きられない家が多くあったことが伝わっている。その他の国でも飢饉には、様々なものを食用とした。

あるいは馬や牛を切り殺して、犬やネズミまで食用にして、海辺では藻屑をかき集めて食用とした。大飢饉のときは、海の魚も少なくなる。

唐土では、凶年に五穀のうち一穀でも実らなければ、鶉鷃を撃ってウズラやひばりなどの小鳥をとって食べ物の不足に当て、二穀が実らなければ鳧(かも)や雁を撃つ。こういう大きな鳥を殺して食べる。三種類の穀物が実らなければ牛や羊を撃って、このように大きな獣を殺して食べる。唐土は海から遠いため山深い国が多くある。獣の肉を普通に食べる。日本はありがたい国で五穀が多く実り外国より優れている。四季が程よく他国から神国とも君子国とも尊ばれ、山海ともに産物に不自由せず、五穀を植えられない土地はない。万民が楽に生活できる有難い神の国である。さらには、御治世が良いからであろう。

それでも日本国内では山深いところで、普段であっても米穀が少なく、麦稗蕎豆の類を常食として、あるいは芋や葛の根、ワラビの根などを掘って常に食事の足しにしている。

飢饉のときは畑の作物は少ないため、木の若い芽を摘んで食用とし、大飢饉になると草木に限らず天地の間にあるもの一切が育ちにくいため、普段から忘れないように心得たいものではないか。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

飢饉ではないですが、第二次大戦中のガナルカナル島での惨状は、これ以上だったらしいです。補給がなくなったらそのまま死につながるのです。

今の自衛隊の装備については専守防衛に縛られ、輸送が弱いと聞きます。輸送手段が多い=他国を攻める準備というロジックなんだそうです。今はそういう時代じゃないと思うんですよね。大量の軍人さんが攻め込むことは、鎮圧として移動することはあるでしょうが、攻撃には使わないでしょう。

今の攻撃はサイバーと無人機の時代ですので、このロジックはそろそろやめた方がいいように思えます。

現に東日本大震災の時は、輸送手段がなくて米軍に揚陸艇を借りて輸送したり、自前では何ともしようがなかったのです。輸送手段がもっとあれば助けられる命があったかもしれません。