すると、番頭も素直な人なので、

「あなたの言うことはもっとものように聞こえる。」

といい、二番頭も善心に戻ったという。この番頭が速やかに改めさせ人としての善に従うので、人を束ねる有難い善人であるというべきだ。このことから考えると、例えていうならば善人は良薬でつくった縄でくくって、よく管理されているようなものだ。素直な人を引き上げて様々な曲がった人を見つけて取り上げないようにしていれば、自然に素直になると聖人が語ったように、はじめはただ一人素直な人を引き上げたが、その人がしっかりと素直な人を徐々に引き上げるのを見ると、それぞれの人は本心があるので改心していく。腐った藁で縄ではものを括るのはできないということを理解し、曲がった腐った心を止めて、素直な良い藁に換えて改めるようにしていきなさい。

これを工商で取り入れていけば、亭主はじめ私欲がない善人を選んでその人を師匠として選んで、真実の善を好み悪を嫌うようになれば、家の中はみな善人になる。それはどんな感じかというと、亭主は本当に悪いことが嫌いなので、妻子や手代もちろん小者も下女まで、少しも悪いことを言おうものなら、亭主は叱らなくても顔色に出る。また善事を言えば、なんとなく喜ばしく見えて、言ったことが行動に現れて頼もしく見える。そういうことから、家の中は自然と恥恐れて、本当の自分の非を知ることになるだろう。このように、家の中が残らず善人となれば、亭主をはじめ身勝手に私欲を満たそうとする者はいなくなるので、互いに恨みや不満を思うことはなくなる。

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ここでの素直の概念がよくわかりません。上司から言われた事を思考しなくてそのまま受け入れるのが素直なのでしょうか?

言われた人は、最初に丁稚が言った言葉に納得して実行したわけですから、素直というのはおそらく今の意味とは違うように思えます。

ともあれ、近代経済学とマルクス経済学が言う大前提の、その取引に参加する者は利益を最大化する行動原理で説明していますが、見事なまでにひっくり返しています。

つまり、日本はいわゆる競争市場主義でもなければ、ヨーロッパ人がよく日本人の思考を共産主義的あるいは社会主義的と喩えることがありますが、全くそんなことがないことが分かるでしょう。

この点は、出光佐三の本を読むと納得するでしょう。

 

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