君子の道は、費であり隠である。だから夫婦間の問題も、普段の生活もこの通りである。これを守らなければ天地の外に追い出され、これを慎めば一言一行は言うまでもなく、頭を振る、声までもすべて理由がある。そこで、語孟学庸[1]のことは広すぎて、かつ話が重すぎるが、それを推察してそれぞれの立場に当てはめれば田舎や下賤な身分でも当てはめるべきか。

今老人の身となった私の『身体直し』の話を聞けば、大仏釈迦もかけ仏壇の本尊にもなるような気がしてくる。大小の違いはあるが同じ仏であるので、守りに変わりはないと。

 


[1] 原文のままであるが、おそらく『論語』、『孟子』、『大学』、『中庸』のことと思われる。

 

ありゃー前作は遠慮がちに、「老人が言った」だったのですが、今度は神仏の本尊ですか?

前作がよほど人気があったのでしょうね。失敗するときは、因縁をつけられるときはこういうときです。十分に注意しましょう。