京都の川西に吉兵衛と異名で呼ばれる人がいる。その理由を尋ねるとこの男は吉凶禍福のどんな目に遭っても、ただ有難いっと言って少しも世も人も恨まない。すべてのことに不満を言わないのでこの異名がついた。

この男があるとき戸口を出るときに頭のてっぺんを激しくぶつけ、そのまま「ありがたい」と言って通り過ぎた。時々そばにいる人が訊いた。

「有難いというのは時にもよるでしょう。頭を思いっきりぶつけて何が有難いのでしょうか。」

吉兵衛は答えて

「そうは言っても私の頭に傷がついたのは仕方ない。でも腫れる程度で済んだのはありがたい。」

と言った。世の中の人はすべてこの男のように心を持っていれば、何の不満があろうか。この男はどこかで学問をしたとは聞いていないが、自然と天命に従う雰囲気がある。どんな人もこのようにありたいものだ。昔も似た例がある。『発心集[1]』にましての翁というのは、どんなことでも見聞きすることに「増して」と言っていたのだが、少し苦しい目に遭っては地獄の苦しみだからと世の中を避けて、世の中の楽しいことを見ては極楽の楽しみだといって浄土にあこがれたという。また、『沙石集[2]』では前世坊という僧が出てくる。この僧は前世のことと言って嫌な気分になることはなく、楽しいことがあっても前世のこと言って喜ばなかった。しかしこの二人は仏門の人である。この吉兵衛は俗人のやることで、現世を心安らかに喜んで暮らす人であり、非常に珍しい。

 


[1] 鴨長明が書いた仏教説話集。

[2] 無住道暁が編集した仏教説話集。鎌倉時代の本。

 

権利だ差別だと大騒ぎする人に聞いて欲しいですね。あと、苦労したといいたがる人も。

権利差別をやたらと使う人は、見事なまでの差別主義者と強欲な人が多いです。きちんとした人はそういう言葉を使いたがりません。

苦労したという人も、単に注目を浴びたいだけそんな感じの人が多いように感じます。