その年は、日本全国特に問題なく良い出来で、苦労することもなかった。その後の寛延元年巳年[1]、宝暦五年亥年[2]東国と北國で酷い不作になって大量の餓死者が出た。その年は京都近辺や西国では大豊作であった。これはまた片方ずつの凶作だった。願いは適わないことではあるが、今後も日本全国残らず凶作ということがあれば、どれだけ大変なことになるか。嫌なことではあるが、天変なので絶対起きないということはない。私が少年だったときは京都の町家でも大勢暮らす人は凶年の計画として、ときによっては年間の飯米を冬に買い込んで保管している人もいる。今はそのようなことをすれば、夏越しになって、虫が食った米を食わなければならない。それを嫌って、たとえ保管場所があったとしても年間の準備をしている人はいない。これは、奢りにふけり見栄を張って苦労を忘れてしまったせいか。

蓄えておくべきは、芋の葉を干したものは極上である。様々な干し葉、かきもち、干し飯、漬物の類など年ごとに作るべきものは言い尽くせない。この他宿老[3]知恵者などに尋ねて、飢饉対策になるべきものは、普段から蓄えておくべきである。

 


[1] 西暦1744年

[2] 西暦1755年

[3] 経験を十分に積んだ老人のこと。

 

日本人の貯蓄好きはこの辺りからでしょうか。今でも毎年どこかで大雨で土砂崩れ、あるいは日照りで水が足りなくて田んぼが作れない。あっという間に収入が0どころか農薬、種代で大赤字になることがあります。今は貯蓄する比率がかなり減ってきているようですが、当然ながらある程度の準備はしておいた方がいいです。

ヨーロッパから比べると天候も激しく変わりますし、地震も比較にならないほど多いです。日本人の発想は、どう生き残るかであって、いかに楽しむかの発想につながらない一因であるかもしれません。