久しぶりに心学ではなくブログを書いてみようかと思います。

『心学いろはかるた』に、「石の上にも三年」という言葉があります。ちょっとやってみては、うまくいきそうもないなとぱっと止めるようなことはやめなさい。しっかり、3年ぐらいは一生懸命にやりなさいという意味です。

ですが、3年以上やり続けることについてはどうかなという疑問を持っています。

所謂なるのに難しい職業というのがあります。例えば、医者、弁護士、研究者などがそれにあたります。医学部に入るのに3年浪人するとどうなるか。某大学では、浪人するたびに入学試験の点数を一律減点していたことが暴露され、大騒ぎになりました。

確かに、浪人して入学した学生ほど医師国家試験に現役合格する可能性が下がるそうです。

弁護士にしても、5年も6年も浪人して合格する人がいますが、以前はそれが当たり前とされていました。でも10年も浪人する人もいるのです。もはや仕事ができるのだろうかと。

それ以前に、その10年間どうやって生活していたのでしょうか。親のすねかじり?自活?前者は論外として、後者も「いつか必ず合格するぞ」と頑張るのはいいのですが、その「いつか」はやってきません。いいですか?「いつか必ず」と言っているうちはできません。「いつまでに」を明確にして、それに至らなければ止める選択をすべきだと思います。

先日、大学関係者に会うことがありましたが、49歳にしてプロの学生(いまだに教員でもなく大学に籍を置きながら、正式の学生ではない者)がいるそうです。本人は大学で研究者を目指しているそうです。ですが、学歴は旧帝国大学の博士号を持っているので申し分ないですが、論文本数が少なすぎて書類審査の段階で落ちているんだそうです。

以前に高学歴ワーキングプアなるものがはやりました。学歴があっても、研究能力は別物です。おそらく研究者としてのセンスがないのでしょうね。

彼らは22歳で大学を卒業して、同い年で研究者になった人の半分以下の成果しか出していません。おそらく今後も無理でしょう。これ以上親の心配をかけさせない上でも、もうやめて企業で働く選択をした方がいいのではないかと。その基準として、3―5年でこの手の職業選択は諦めるべきなのではないかと思いますよ。大学に入るだけの十分な頭脳があるのだから、早めにそちらの能力を生かした方がずっと良いことだと思います。

「努力する人が報われるべきだ」「苦労を美徳」と考える人が減ることを望みます。彼らが、ますます社会復帰できなくなりますから。