さてまた弟は両替商に養子に行ってから、金持ちの寵愛は貧乏人とは大いに異なり、生まれながら絹に包まれなかった子ではあるが、すぐに綸子[1]や縮緬を着るようになり、家を出るにも帰るにも上下付き添い、上等な菓子でなければ与えず、朝夕食卓に魚がついていなければ食べさせなかったので、内臓が悪くなり遂に疳病[2]になった。家族は驚き、薬で治療し按摩に頼んだり、何人もの医者にお願いし、その上疱瘡がでたら大騒ぎになり加持祈祷を頼み、やっとやっと医療の甲斐があって念願かなって回復して大喜びし、ますます寵愛が深まっていった。

成人すると人を敬うことをせず、自分が偉いと思い込み気儘な人になった。物見遊山なども思いついたらすぐに遊びに行ってしまい、付き添う人が大変な思いをする事になっても、養父母が許してしまうので誰も諌める事が出来ず、このような贅沢や気儘は元からの物だと思うようになり、十四五歳から遊郭に通い、金を遣いまくり、養父母は今更義理から番頭なども誡められず、一家一門で相談して様々に言っては見たものの全く聞き入れなかった。仕方なく強い意見で狭い店を借りて、小者一人を付けて若隠居をさせて、朝夕の食事を運ばせた。やりたい放題の事について言い渡したが、これまで何事も好き勝手やっていたので、急に金の出入りが思うようにならず、三か月ほど暮らしていたがやっていけず、遂に精神病になり寝込むようになった。日ごろから金遣いが荒いことから支払いができず、虚労の症[3]になり治療を尽し田舎暮らしをするようになって回復したが、それ以降は魂が抜けてしまったかのようになり養父母は当惑し、私らには子供の縁がないのだと後悔した。

だが、その原因は血筋ではない。氏より育ちという諺があるが、これは貧乏人に限った話ではない。身分の上下ともに子供が育てるときに、その子の善悪を判断させることであり、その親でああっても姑息な愛[4]で可愛がり、好き勝手やりたい放題の捨て育てはやってはならない。姑息の愛とは乳母養いと言って、心から可愛がるというものではない。他人が寵愛するのと同じであろうという心である。

 


[1] 綸子(りんず)は、絹織物の一種。

[2] 疳病(かんびょう)は、昔癇癪やひきつけを起す病気で、虫が原因と考えられていた。

[3] 心身が衰える事。

[4] ここでは、将来を考えないでただ可愛がること。

 

父親と母親の可愛がり方は全く違いますね。あくまでも傾向がありそうだという範囲で読んでください。父親はあまりべたべたとは子供と接しません。母親からすると子供を放置しているかのように見えるようです。

一方、母親は細かい所までよく見ていますが過保護になりやすいように思えます。乳幼児の頃であれば衛生状態に気を付けるのに母親の役割は必要です。

ある障害者から相談を受けました。難病の皮膚疾患で皮膚が固着する病気だそうです。常に薬をつけなければなりませんが、それもあってか母親は二十歳を超えた息子にせっせと薬を塗ってやっています。その青年の将来について相談されたのですが、母親はいかに息子が出来ないかを話します。一方の父親は、親が死んだ後の話をしました。

どちらが優れているかとか言う話ではありません。あくまでも傾向があるというレベルですが、二十歳を過ぎた青年の「いかにできないか」を言い続けて「かわいそうに」を続けるのはいかがなものでしょう。

ときと場合によって、可愛がり方を考えるべきでしょうね。

風邪の噂では、満足に他人との口のきき方一つ出来ず、母親にべったりでその後この青年は引きこもりになったそうです。