息子に任せていたら破産するだろうと心配し、息子を呼びつけて説教したところ、

「父さんたちの思うような商売の仕方は私には出来ません。私は借金を引き受けて別居している間にご隠居をやめて母屋にお戻りください。若返って商売して、老後のひと花を咲かせて下さい。」

とふざけ半分にすっぱりと答えた。父親もすっかり興ざめして、

「この馬鹿者が説教しても、私が積み上げてきた財産を再建と思うより、お前は勝手に商売していろ。」

私は六十近くの隠居をやめて思ったのだが、親は早く隠居するのは家業のために悪い事であるとはじめて理解した。

しかし、借金も財産も建て直すには、私が借りなければならないと、この父親も一癖ある者で、まずは借入先をまわり再建案を説明し、期限を猶予してもらった。だらしない奉公人は、まだ年季途中ではあるが暇を出して、一生懸命働いている職人に心付け[1]を出さず、これまでとは手のひらを返すような暮らし方となった。

さて息子の稼ぎ方はどうであったか。友達から元手になる金を借りて、料理茶屋を思いついて天王寺の石の鳥居から一町[2]ほど西に、福屋又平と急に話がまとまりうまいことやって卓袱料理[3]をネタにしてお客を集め、参詣会などの時は新作にしてくじにして塗り物の盃を出すようにして、徐々に繁昌した。料理茶屋には気分の高い者も低い者も人が集まり、馬をつなぐほどの格式となった。そらみたことかと少しは自慢するようになり、かの父親の心入れをここに書いておく。

 


[1] 今で言ったらボーナスに相当するか。

[2] 110メートル弱

[3] 卓袱料理(しっぽくりょうり)とは和華蘭料理(わからんりょうり)とも評される。大皿に盛られたコース料理を、円卓を囲んで味わう。

 

人それぞれ得意不得意がありますが、この人の場合サービス業に向いていたのですね。

どんな職業であっても、質素、倹約だけでいいわけではありません。喜ぶこと嫌ることは人によって大きく異なります。こういう遊び慣れた人の方が向いている職業もあるのです。