全ての商売のやり方は、その商人の心の入れようである。口の周りについている米粒を自分でろくに取れやしないような出世できないくせに、自分達で同士討ち失敗する事が多い。大立身した忠兵衛の同僚である惣右衛門と炭問屋に勤めていた。失敗もなく年季が明けたが切れ者であるので番頭が放してくれない。だんだん地位が上がって、今では番頭も追い越し家の人も恐れるくらいである。

 

動じない威勢がついた原因は、山のように仕入れ江戸に運んでいき、または他の土地への発送など惣右衛門の仕事はよく、年間で総勘定に二百貫目か三百貫目、あるときは五百貫目と儲けの伸びあり、申し分ない。

 

儲けは金がある所に集まる。世間からは楠正成か諸葛孔明のように商売をして、金持ちの中にはそういう人がひとりずつ出てくるもので、能力ある大将に能力ある家来が現れる理屈であると世間の旦那たちは羨んだ。私欲があったかないかは分からないが、番頭一人の考えで、小さな家一軒に銀三十貫目付で暖簾をやった。その年三十七歳、暖簾分けしてもらえたのは嬉しいが、思いがけない事だった。ただ問題が起きれば、こう狭いのが原因だといい、その原因を自分は理解できず、また旦那は大きい家をくれるのを惜しいものと思ったのだろうと番頭を批判した。自分が押し込められることを悔しがって、早く仕事を身に付けさせなければならないと、出入りの作業員までが良い人であったのにと、すでに死んでしまったかのように惜しんだ。

 

惣右衛門は表にはしなかったが心の中で頷き、三十貫目など増やした金で親方の指示で商売をするのも嫌である。幸い両親とも長崎の生まれで、薬の事をよく知っていたので、親方に貰った家を担保にして、仕付け銀と合わせて元手にして、道修町あたりへぬっと出て薬種商売をした。家の管理には女房が一番であると聞いて、不器量だが金を持ってくる女房を持ち、若い者や丁稚下女を用意して、自分の親を番頭のようにして、商品の目利き新渡古渡[1]の立値[2]を決めさせた。商売は始めからまやかしものは相手にせず、熊の胆、朝鮮人参、一角獣[3]は仲間の勧めには乗らなかった。元来目先のきいた賢い人だったので、数年来慣れたかのように気転よく働き、立値の変動考えて、五霊脂という薬種を大量にかった。非常に安値のところで大量に買い込み、京都の薬種屋のない物まで仕入れた。同業者は裏で罵り、元から薬種屋でさえ上手く行かない商売、三年や五年でいかに調子がいいからって、損が見えている者まで買い込むなんていうのは素人のやること。今年は持てないと大量に売りつけろと言い合せ迫った。借金してまで買い込んで、その家々に預けておいた。

 


[1] 新渡りは最近になって外国から伝わったもの、古渡は昔に外国から伝わったもの。

[2] 標準の値段のこと。

[3] 熊の胆は胃薬気付け薬、朝鮮人参は滋養強壮剤、一角獣は肋膜炎・麻疹・解熱・性病に効くとされた。

 

組織に所属しているうちは能力を発揮でいますが、一旦組織を離れると見事に失敗する人。自分が他の人にフォローアップされているからこそその人の特性が生かされるのですが、それを分かっていないでガツガツ。

 

こういう人は嗅覚は優れていても、管理ができない。いわゆる「アイディアマンは、管理職に向かない」というタイプかも知れません。