ある地方で三千石の領地を持っている地頭がいた。その領内の民は天明六年[1]丙午の冬に、年貢百石未納の分を翌年の夏に納めると領主に願い出た。その上、夫食[2]まで願い出たので領主は快く承諾さて、夫食を賜ったので、翌年五月の飢饉に各地で騒動が多く、その近辺でも騒動が多かったが、この三千石の領内では何事もなく、静かに治まっていたことは私も確かに聞いた。

 

また京都や大津は最初から町人達からの施行が多く、人の気持ちは自ら穏やかで騒動もなく、さらに御上からの計らいで厳重であり、民が罪を犯すことがなかったのはありがたかった。

 

金持ちが財を貪って貧民に恵まないと、人は恨んで神は怒る。その結果、財を保つことは出来ない。災いが来るのは手のひらを返すより早くやってくる。もし貧民を憐れんで貧窮から助ければ、人はこれを喜んで天はこういう人に加護を与える。福は直ぐにやってくる。いわゆる、財があつまると民は散らばってしまい、散財すれば人は集まる。

人々がその恵みを感じその徳に慕うときは、これが民が集まる道理ではないか。もしこれに反して財を貪り困っている民に恵む気持ちがないときは、人はこういうことを恨んで妻子ですらこういうのを疎んじる。これは民が去っていく道理ではないか。財を貪るのは禍を招くこと、財を恵むのは福を求める階段である。ゆえに富豪の人は財産を人に施しても、これで分相応と思っていると、多くはケチになってしまうものであるので、積極的に施すべきであると思う。

 

そもそも財宝は自分の物だと思うことが間違っている。財宝は天下の財宝であるので、財宝が出入りするのはその時々であり、ほど良く使うのが賢者というものだ。もし出入りが思うようにいかず、あるいは驕りあるいはケチとみだりに財を使いみだりに貪るときは、天下の罪というものだ。この理屈を知るときは、一銭であってもみだりに使ってはならない。千両と言っても時節で必要であればすぐに施しなさい。そうすれば、他から施行する人を見て、名前を売り込むためにやると思ってはならない。その道のためにする事なので、人を嘲る人は道を知らない人であるというべきだ。

 


[1] 西暦1786年

[2] 夫食(ぶじき)は、農民が食べる食料。

 

 

人徳が大事で、財産は二の次、あとからついてくるという発想は、まさに論語の中の発想です。論語は国家運営のための考え方なので、こういう発想になるのでしょう。

 

まさに「徳は本なり、財は末なり。」の発想です。

 

「財散ずればひとあつまる」とあるのですが、金に群がる亡者どもという意味ではなく、金を持っている人は窮民救済のために積極的に御金を遣いなさい。そうすれば、その人徳につられて人が集まってくるという意味です。