世の中の人は愚かな事をすることがある。まずは金銀を蓄えてさえいれば確実だと思い、食べ物を蓄えておく人は少ない。田舎では食用の米を用意していても、都市部ではこれをしていない。金銀を蓄える用意があれば、まずは食べ物を用意してその上で金銀を蓄えるべきだ。他の物は金銀では買うことはできなくても、命に関わるほどの事はないだろう。食べ物は金銀で買えないときは命に関わるので、こういう場合には金銀があってもどうしようもない。だから、金銀を蓄えてある家は少々の食料は用意すべきである。かなりの金持ちであれば、一代に一度の婚礼道具を買うとき必要なものと様々な良い道具を高い値段で用意する。窖(あなぐら)など家の為面倒臭いものではあるが、自然のときのために用意しておくものだ。

 

例えば、武家での武具は今の世では必要な物とは思えないが、それぞれが用意し身分の高い方々は他国へと領地替えになれば持っていくように、身分が低い者も高い者も道具として第一の物は米穀である。道具とは道が具わると書く。人が用意すべきはまずは米である。だから人の道具の第一は米であると分かるだろう。

ある人が言ったのだが、

「確かにあなたの言うとおりに用意したんだが、場所がないし手間がかかる」

それに対して私は、

「家に十人二十人と暮らす人が、土蔵を持たないはずがない。さてその土蔵は何のためにあるのですか。第一に火の用心のためである。家にいると狭いと思っても自然のときのためを思って建てた土蔵である。自然の時のためとは、体を維持するためである。身を全うするに食べ物がなければ、どうやってその身を維持していくのか。ならば、土蔵に入れるのはまずは米である。その次に衣装や道具を入れるべきでしょう。」

勿論、商人が商品を入れるのは当然のことである。ここに狩野古法眼[1]、耕作あるいは米や粟を描いた屏風で、飢饉のときにこれを出して。腹が減って腹が減って南無古法眼サンマイソワカ[2]と三回唱えてみれば、飯米は沢山出てくるというので、値段が高くても土蔵が狭くても求めなさい。全て人々はなぜか不思議な事を信じて、逆に通りの明らかな事を信じないものだ。こういうことは皆人の心が起こすものだ。

 


[1] 狩野 元信(かのう もとのぶ、 文明8年8月9日(1476年8月28日)? - 永禄2年10月6日(1559年11月5日))のこと。室町時代の絵師。狩野派の祖・狩野正信の子(長男または次男とされる)で、狩野派2代目。京都出身。幼名は四郎二郎、大炊助、越前守、さらに法眼に叙せられ、後世「古法眼」(こほうげん)と通称された。

[2] 密教の真言を真似ている。

 

日本は世界的に見ても気候変動が激しいし、台風や地震が半端でなく襲ってきます。少なくとも地中海の国々からすれば信じられないレベルですので、昔からこういう準備がなされていたようです。

 

江戸時代の中期ぐらいから、江戸市中では大規模火災対策で準備するようになったそうです。

 

今で言ったら公民館あたりに非常食を備蓄するような感じでしょうか。

 

現在は公的機関に丸投げするような感じになっていますが、アレルギーを持っている人用の食料まではまだ不十分のようです。こればかりは、自分で用意した方が良さそうですよ。

 

とはいっても最近は、安全なところにあると思われていた公民館が流される時代ですからねぇ。