しかし、王城[1]の地で人は穏やかで騒動にもならず、六月四日五日ごろから大内へ千度参り[2]を始め、今は願うべき神も仏もなかった。ただ生きている神様を願うことが重用として。数万人が参詣した。大内から暑い時期であったので、老人や子供には赤飯やこわ飯[3]を御配りになった。さらに清らかな桶で、毎日参詣の数万人にお茶を御配りになった。実にありがたい事であった。まさに一天四海を統治する万乗の君の徳は実にありがたい事であった。「君子固窮小人窮斯濫俟」[4](君子たるものは庶民が困っているようであればここには存在しない)と、米価が高い事に心配するのは君子であろうと庶民であろうと同じであるが、こういう状態で騒動を起こすのは大した人間ではない。元から君子としての徳が備わっていない。騒動を起こすときは庶民、乱れなければ君子である。孟子は、「行或徒之、止或尼之、行止非人所之能也」[5]と言ったと伝わっている。

 

米の値段は天命なので、人の手で何とかできることではない。決して、人の手で何とかしようと思ってはいけない。米の値段によって利益を得た人を羨んで、妬んだり悪口を言う人がいる。こういうことは自分の賤しい心から生じるのだ。また、小人が家に押し入って大暴れをしたときに、それに心を乱されるのも小人である。

君子たる者は常に慈悲の心を持って、人々の心を知る者である。世の中で困るようなことがあれば、どんなことでも人のためになるように計らい、飢饉のときは速やかに施行をして、自分の身に起きたように考えて他人の難儀を引き受けて思うので、人よりも災いを与えないものだ。

 

さてその頃関東では、多くの米の代金を民家を救うために有難いことに下さった。また、皇都でも七月上旬に民家を救うための金を極貧の者にお与えになった。八月中旬には米価は大幅に下落して、新穀が文銀で八十匁ぐらいになり、一日に二十匁から三十匁ほどずつ下がり、米穀を隠し持っていた者は千日の利益を一日で失ったものが出た。七八月は気候がよく秋作は良いと予想され、世間の人は安心した。春以来雨続きで麦の出来は悪かったが、その他の青物はどれも成長がよかった。この年の春は世間ではどこでも厳しく、開帳[6]や万日[7]や見物客などは少なく、ただ上の醍醐[8]だけ開帳があったが、雨が続いたせいか誰も参詣したという人はおらず、寺町の誓願寺に三万日の廻向が三月十五日から二十五日まであったが、始終雨が降り続いて参詣者は自然と少なくなり、稲荷の祭礼も非常に厳しく、今宮の神事なども町によっては御神燈を出すこともあったし、出さない所もあって、客を招く様子は見られない。いつになく静かに見えた。祇園社の祭りの頃は、特に江戸と大坂で騒動が聞こえてきて、京都も米価二百三十匁にもなったので、神事であっても何もせず店を飾ることはなかった。表の通り筋では、幕を出す店に飾りはなく、鯖寿司を食べる家もほとんどなかった。

 

ある狂歌では

めしくふて 遊び蔵せし その替り 今は食わずに 駆け廻るなり

 


[1] 皇居の事。

[2] 天明7年6月7日 (1787年7月21日)に発生した、京都御所の周囲を多数の人々が廻り、千度参りをした事件。天明7年6月7日頃から始まった。初めは数人だったが、その数は段々増えて行き、6月10日には3万人に達し、6月18日頃には7万人に達したという。御所千度参りに集まった人々は、京都やその周辺のみならず、河内や近江、大坂などから来た者もいたという。

[3] 米をせいろうで蒸した飯。

[4] 『論語』衛霊公にある。「君子とて、やはり困窮することはある。ただ、窮したからといって道にはずれることをしない。小人はこれに反して、窮してくると、道からはずれた誤った行いをする。」『中国古典名言辞典』・講談社学術文庫

[5] 『孟子』梁惠王章句下十五にある言葉。「行くも行かせるものがあり、止めるも止まらせるものがあるのだ。人が行き、人が止まるのは実は人のなすところではない。」要するに天命なのでどうしようもない、の意味。

[6] あ仏教寺院で本尊をはじめとする仏像を安置する仏堂や厨子の扉 を数年に一度から数十年に一度開いて秘仏を拝観できるようにすること。

[7] この日にお参りすると、千日分お参りしたのと同じに効果があるとされる。

[8] 醍醐寺は、京都市伏見区にある。


 

こういうところが日本的ですね。暴徒であっても慈悲をもって対応しなさいと。

 

多分、現在のアメリカであれば民間人が銃でその場で射殺するでしょう。中国人で、日本でいうところの地方経済局のトップクラスの人と話をしましたが、いかに鎮圧するか、以下に財産を守るかの話になりました。

 

こういうのを聞くと、日本で良かったとつくづく思います。

 

しかし、儒教は中国で生まれたものなのに実践する人はあまりいないようですね。実に不思議な話です。