私が心配するのは、丙午は太陽の年なので、却って陽中の陰に水気が強いと思える。未年は水生木と木を生じ[1]、木の勢いが強く草木は勢いよく見える。人間の五臓でいうと肝臓は木である。肝臓に元気があれば憤りが強くなって事を起こすと思う。来年の申年は火事に心配すべきだと思う。『運気考[2]』には冬に出火とある。何を根拠にしているのかはわからないが、私が心配する災害は丙午の水気が強いことを根拠にしていった。全てが酷いときか虚弱なときは、却って大変な事になると思える。だから丙午の陽気は酷く却って水気を生じて、未年に木に変わって五月中は木が繁る時期であるが、木の性が溢れ出て人々を苦しめる。こういったことが追々京都にも伝わってきたので、毎日そう会が上がって黒米も白米もなく一石あたり二百三十匁までになった。五月三十一日から六月三日までの間は米は一斗もなく、金持ちの家でも飯米が尽きて露命[3]をつなぐのが精いっぱいだった。当然その他の人たちは朝か晩に死ぬのを待つばかりである。

 

大坂は津留め[4]とやらで、米は更に都へ運ばず、大津[5]も津留め同様に京都へ米を運ばず、金銀を首にかけあちらこちらと走り回り、売りたいという人がいれば値段に関係なく買うつもりであったが、全く売る人がおらずこの調子では都はどんな事が出来るかと茫然とした。近くの竹田村[6]は鳥羽伏見[7]の近くであり米穀は自由になるところである。こうして施行米に加えて、摂州の伊丹[8]で酒米を借り受けて、毎日人足を使って取り寄せようとした。こういう繁華の中に米穀に出廻ってしまい、東国の飢饉を思うと哀れであった。

 


[1] 陰陽五行説の考え方。

[2] 占いの本のことか。

[3] はかない命。

[4] 領主が領内外における特定物資の移出入を禁止または制限したこと。

[5] 現在の滋賀県大津市。

[6] 現在の京都市伏見区の一部。

[7] 現在の京都市南区と伏見区。

[8] 現在の大阪府伊丹市。

 

この当時は、科学が未発達なために占いか経験則で予測をしていました。甲子革命がその典型的な例です。このときの空気感を理解するためには、易経ぐらいは読んでおいた方がいいのかもしれませんが、そこまではここでは止めておきましょう。

 

科学がだいぶ進んで気象予報もかなり当たるようになりました。とは言え逆走台風など今までにはあり得なかった気象状況も出るようになり、今の予想技術も全く当てにならない時代が来るのかもしれません。