日本では、明治に入りガラッと変わりました。

というのは、まず家単位で商売をしていたのが、多額の資金を必要とする重厚長大産業を必要としたことで、心学が前提としていた「家制度」そのものの基盤が崩壊が始まったのです。

安政の開港から、輸出出来るものと言えば生糸、刀、陶磁器、漆器ぐらいで、到底軍事装備品を買う状態では無くなってしまったのです。この辺りは高校の日本史でもやりますよね。官営工場と払い下げで、益々従来の家制度から離れていきます。

それでも、地方の中小企業、特に味噌、醤油、酒あたりの醸造を専門とするところと、手作業で行う職人の家には心学の考えが残っていたようです。

しかし決定的なきっかけがありました。それが、第二次世界大戦の敗戦です。

日本の伝統的な考えや倫理を徹底的に排除し、まさに「羹に懲りてなます吹く」の状態で、商学部や経済学部で教えるのは心学の商業倫理よりマルクス経済学的な経済史、つまり働く労働者と資産を持っている資本家との対立関係を教えるようになりました。労働者が作り上げた価値を資本家が取り上げる=搾取という考え方です。これは特に共産主義国、社会主義国に限らず、欧米というか日本以外では一般的な考え方のようです。

でも、出光佐三さんはこれを残念に思っていたようです。どうしてかと言うと、心学では主人は仁(思いやり)と道徳的に正しい事が前提となってリーダーシップが成立するという考え方です。右翼的ととらわれがちな出光佐三さんではありますが戦時中にも、心学的な態度をもって過激行動に走った人たちを社会復帰させるなどしていたようです。

しかし、アジアの古臭い思想なんかよりも欧米の経済学によって追いつけ追い抜けの発想が強く、昭和30年代にはほとんどの大学で心学は教えられず、日本文学の中で生き残るようになったようです。

ところが大どんでん返しが起きます。ドラッカーという有名な経営学者がいましたが、その人が日本に来た時に企業の社会的責任CSRを認識したとも言われています。

つまり、大旦那がタニマチの支援をするように、企業が芸術や社会的に必要な物に支援をするというものです。日本以外では、企業はあくまでも金を稼ぐための道具にすぎず、直接営業に関係ない者に金を出すことはとんでもなかったのです。メディチ家は金持ちを恨む雰囲気を避けるために芸術に金を出したようですが、それは金を出しましたよと明示することで寄付を行っていました。

日本では陰徳善事といい、善い事はこっそりやりなさい、目立つような見せびらかしのような寄付は止めなさいという考え方です。同じ金を出すにしても、メディチ家とは全く正反対の考えだと分かるでしょう。

猶この考え方は、韓国でも中国でも「何の利点になるの?」と逆に聞き返されてしまいました。金持ちが社会のために金を出すというのは、基本的に一般的ではなかったようです。

ともかく、この考え方がドラッカー経由で日本に逆輸入されたようです。

マルクスが日本に生まれていたら (講談社+α文庫) [ 出光 佐三 ]この本は面白かったですよ。

 

松下幸之助さんも、心学にはかなりの関心を持っておられたようです。