「商人は商売をして利益を手に入れるのが勤めですから、どんなものであっても三文の利益であろうと財産が増えることがある時の手柄なのです。だからと言って道から外れた利益を取るようでは、千万両に増やしたところで、最後まで続かないものですな。こんなことはこの愚僧が言わなくても百も承知、二百も合点しているところでしょうが、たとえどれだけ利口な人であっても、千のうち一つでも過ちがあれば、耳を出して聞くばかりのことで、今宵は出家という身分を離れて、金持ちになったつもりで説法をしましょう。まずは商売人は太っ腹である一方で随分ケチであるのがよい。そうはいってもそのケチには色々あるのじゃ。

 

例えば欠けてはならないものに義理とふんどしという通り、やらねばならない義理ごとの場所では、金銀を惜しまず使わなければならないもの、またその義理にもいろいろあるもの。あなたは五旬という年なので、その判断はできるでしょうが、若い息子もあることですから聞いておきなさい。」

 

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義理ごとはねぇ。

 

金持ちって結構ケチですよ。というか、外向きのものと内向きにのものを明確に分けています。よく言えば外面がいいということになるのでしょうが、人との付き合い、公式的なものについてはそれ相応の義務があると思っているようです。

 

一方、内向きについては例えば日常の食事については、普通のスーパーで普通の食材を買って、いかに安くするかが重要とばかりの食事です。

 

友人や仕事の相手が来た時だけ、その瞬間高いものは出てきますけどね。

 

というのは、このブログでも書いているように、金持ちというか資産家というのは、物を持っているだけでリスクなんですよ。新幹線が止まる駅の前にビルを持っていても、テナントが似なければただのごみどころか固定資産税と、管理コストで本当に首が回りません。かといって貧乏くさくしていると客が寄ってこない、こういう傾向があるのです。

 

だから必要なところではしっかり使い、普段は質素極まりないですよ。

また著作権問題発生のようです。これはきちんとルールを作るしかないんじゃないでしょうか。

話によるとTV局のドラマ制作部門は、「私が手を入れればもっと良くなる」と思い込んでいる作家が結構いるようです。そのくらいプライドが高くなきゃやれない世界だとは思いますけどね。だったらドラマ作家が全くのゼロから作れば問題ないのにねと思うのですが、そうもいかない大人の事情があるみたいです。

 

原作の名前を使えば、原作の本が売れるし、どんなに下手糞でも人気のある俳優さんを入れるし、場合によってはその下手な俳優を使うために無理やり話まで変えてしまうというのがよくあるんだそうです。スポンサーの意向だとか、というか広告代理店の影響だと思いますけど。

 

そうなれば原作者としては何てことしてくれるんだ!という話になりますよね。ならば、「参考にしかすぎません」というのもアリなのかもしれません。

 

原作者としては他にも仕事を受けているわけで、ドラマ用に台本を書けませんし、TV局側から出てくる台本に目を通す暇なんかありません。中には完全にこの確認作業を放棄した作家さんもいるようですけど、どうなんでしょう。これも力関係で決まってくるわけで、著作権協会?作家協会?ペンクラブ?でもんだ方がいい案件だと思いますよ。でないとやったもん勝ちになりますから。そうなれば面白い作品を出そうという人も減りますし、作家さんの生活が成り立ちませんからね。

経済番組を見てて、ESGこそが正義でぶっ潰した悪の連中を成敗してくれるという趣旨の報道がありました。そもそも「SDGs」とは「Sustainable Development Goals(持続可能な開発目標)」の略称ですが、これ自体誰も反対する人はいないでしょう。

 

その中でSDGsとセットで語られることが多い「ESG」は、環境(Environment)、社会(Social)、企業統治(Governance)の頭文字を取った3つの要素に着目して投資しようというものですが、これもまた反対する人はいないでしょう。

 

では、具体的に何をするのか、何をしてはならないのかが問題になります。日本証券取引所の基準ではこんなのが公開されています。

どれを読んでも基準があいまいなんですよね。読んでわかる人います?少なくとも恵比寿屋さんにはわかりません。二酸化炭素排出基準がどうのと言ってますが、そもそも人間生きているだけでも二酸化炭素を出します。都内に人が住んで営業するだけで出てくる都市熱効果とか、その辺は無視なんですよ。なんかおかしくないですか?

 

通常の10倍以上のクリーンと称する燃料を使って飛行機を飛ばす?安くなるなら大幅に切り替えが進みますけど、その分現金が回らなくなりますから、当然消費者負担になります。観光に行くなという政策と一緒にやるならわかりますけどね。

女性だから、障碍者だからと排除するのはよくないですが、アファーマティブアクションって成功した事例はないんですよ。やればやるだけ逆差別が増えます。無理やり女性の社外取締役を入れても、有名な人は10社ぐらい兼任しているので、実際には経営に参加しているというより名義貸しです。それだけで、年間4000万円近くの役員報酬と福利厚生が出るんですよ。おかしくないですか?

 

この他、SDGsとかESGとか言いますが、要するに監査とコンサルで金儲けしたい人の利権としか思えないんですよ。実際アメリカでは、非現実的だと撤退して、証券取引所からうるさく言われると、上場廃止するところも出始めているようです。会社をつぶすくらいならその方がまだましですからね。

 

だから潰したは人というよりは、自滅でしょ?

五兵衛は座ったままにじり寄って

 

「私たちの体は、親からもらったなじんだものではありますが、若いときの教訓は馬の耳に北風ほど頭に入らず、うかうかと暮らしてきました。今から思ってみれば、私にとっては持病の針、疝気にする灸より役立つのに、歳を食ってから思い当たるようになります。後悔しても手遅れで、せめてものお礼だと思ってくださいな。四方から滝水を一樽下げて、これまでのご恩を雑に扱ってきた罪、詫び言に来ました。」

 

と言われ、和尚はにこにこして

 

「これは誠に殊勝なこと。もう夕方になってしまったので蚊帳の準備でもして昼の厚さを忘れるにはいい手土産。肴に愚僧が説法でもしましょう。足を延ばして聞いてください。」さすがに気やすい世捨て人らしく取り繕うこともなく、徳利の尻を囲炉裏の中に差し込んで、ほどなくお燗が出来上がると、さしつさされつ茶碗酒を始めた。

 

「さて、五兵衛殿、私は早七旬[1]という年になってしまいました。元のような動きができません。達者なのは口ばかり。こうなってしまったら人として仕舞じゃ。それに引き換えあなたは、今年五旬[2]といえば天命を知るという年。まさに今が商売盛り。その上耳たぶが厚く生まれつきかおやじの代から財産も倍になって、土地もかなり増えたというのは実にお手柄。」

 


[1] 七十歳のこと。

[2] 五十歳のこと。

 

年寄りの繰り言というのは、おお外しではないのですが、くどいです。自分の体験がすべてみたいなところがあって、聞くだけやぼって思わせる何かがあります。ということで、恵比寿屋の爺もそうならないようになるべくさらっと言うようにしています。しかもそれはよほど大きなへまにつながるようなことでない限りなるべく言わないようにしています。

 

どうせ言ったところでやるでしょうし、体験しないとわからないところもあるでしょうし、体力だって人それぞれです。人にはそれぞれ勝ちパターンというのがあって、恵比寿屋さんのやり方はあくまでも参考程度ですから。

日本の領空侵犯をやったりしてましたが、今度はアラスカでアメリカ空軍に喧嘩を売ったようです。

まあ、これだけの画像だと撮影空域も分かりませんし、この直前に何があったかわかりませんのでNORADの発表をそのまま信じるのも微妙ではありますが、状況証拠からするとかなり緊張感が高まっています。

 

この行為が上司からの命令なのか、ただの目立ちたがり屋なのかわかりませんが、どうせ公式発表はしないでしょう。ロシアとしては対ウクライナ戦争で強がる必要があるのでしょう。

 

今思い起こせば、1980年代のソビエト崩壊と似たものを感じます。ソビエトが崩壊したときはどうだったか、衛星国の崩壊が始まって、最後の最後にソビエト崩壊でした。今回は、衛星国はほぼ独立しています。中国との境にある独立国家共同体(CIS)はどうするんでしょうね。さすがに今回は16世紀以前のロシアになる可能性もありますよ。

 

そうなると中国が何をしでかすか・・・

ブラジルでは、今日から新しい豆の栽培作業を開始するかららしいですね。

コーヒーといえば、本来はアラビア発祥なのに、今ではブラジルの方が圧倒的に有名です。歴史も1100年とそんなに古くないんですね。

アラビアではコーヒー栽培に努力する位なら、石油を売った方が圧倒的に簡単で儲かりますから、あまり栽培されないのでしょう。むしろアフリカの地下資源がそんなにない国の方が頑張っているのが状況証拠となりそうです。

 

恵比寿屋さんはコーヒーはもっぱらブラジル産のカフェピロンをエスプレッソで飲んでいます。今まで飲んだ中で一番いいです。日本メーカーの浅煎りで粗挽きとかいうのは全然私には向いていません。しっかり深煎りで粉になってないとうまみが出ませんよ。とはいえ、腎臓結石にはあまりよくない飲み方なようなので、注意しなければならないようです。

 

 

Bachのコーヒーカンタータでも聞きながらいっぱいいかが?

 

 

普段、飲んでるコーヒー教えて!

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昔々のことである。時は水無月の中旬で、草木に一滴の露もないくら暑い。団子坂[1]のそばにある、藁ぶき屋根の家があるが、一年を通じてその家に人がいることはまれであった。浮世をぶらぶらと歩きまわる瓢箪和尚というのがいた。麻の衣を持っているのに、いつも竿にぶら下げてあるばかりで、渋染めの帷子をわずかに腰に巻いているだけで、世間の目を気にせず半裸であった。

 

この日は特に暑くて何とかしのごうと、縁側に立って団扇で仰いでいる。そんなとき「和尚様の家でしょうか」と枝折戸を押して入ってきた人がいた。その人は堪忍五郎という人で実に律儀な男である。

 

和尚とはかねてから仲良しで、五兵衛が遠慮なく座ると和尚はうれしくなって

 

「これはこれは五兵衛殿、しばらくぶりでしたな。達者でしたか。江戸から見ればこの辺は田舎も同様。とは言いながらも江戸の派手な生活に慣れて、田舎の暮らしを見ると薬のようなものですな。」と教訓を垂れそうなことを言い始めた。

 


[1] 現在の文京区千駄木あたりにある坂の名前。悪路で転ぶと団子のように転がることからついた名前でこのあたりに団子屋があった。

 

水無月といっても旧暦ですから、7月梅雨が明けたばかりの頃でしょうか。今年も暑かったですね、江戸時代ですから、今のような暑さほどではなかったでしょうけど。

 

瓢箪和尚という名前は全国にいろいろとあるようです。広島では、瓢箪の栽培をしていたことから、瓢箪和尚と呼ばれていたようです。ここでの場合は、半裸で縁側に座っているところを見ると、酒の入った瓢箪を持ち歩いているちょっと生臭系の坊主だったのかもしれません。

 

まあ、寺でもなさそうですし、別邸?別宅?生臭さと、いろいろと想像させてしまうところに住んでます。

政治家のプロフィールを見るとみるに堪えないものが結構あります。地方議員だけでなく国会議員でも。

 

一度入った政党が崩壊してなくなってしまったので、別のところに入るのはある意味仕方ないですが、それにしてもそこで人を集められなかった政党にいたということを反省すべきでしょう。誰でも過ちはあるとはいえ、それを2度も3度も繰り返すというのは自分には政治の能力はないと自覚すべきだと思いますよ。

 

中には3回以上所属政党を変っているのもいて、あんたの政治信条はいったい何なのよ?と言いたくなるのもいますが、なぜか当然してしまったりするのもいるんですよ。これは有権者の質が悪いからに他ならないと思います。TVに出ているから、ポスターの顔がいいからという理由なのか何なのかわかりませんが、恵比寿屋さんは政党コロコロと呼んでいます。

 

この政党コロコロというのは、見ていると本当に節操がないですね。憲法を改正するのが党是の政党団体に入っていたかと思うと、憲法9条を守れという政党に入ったり、また逆もしかりですが、政治信念はいったいどこにあるのか。間違いがあったと思うなら、過去の経緯と政治信条を変えた旨をしっかりパンフレットなりHPで説明すべきだと思います。それをしないのは政治家を単なる職業とみなしているとんでもない愚か者だと思いますよ。

 

それでいて有権者はあたかも騙されたかのようなことを言う有権者もいますけど、少しでも調べようと思いました?今はネットで簡単にどこの政党にいたとか、過去の政治的発言とかいくらでも引っ張ってこれます。最低限投票に行こうと思うならば、その程度の手間を惜しんではだめですよ。

 

少なくとも政党コロコロは信用してはだめです。立候補者本人は真面目にやっているつもりなんでしょうけど、政治センスのない不思議ちゃんなのです。

 

先日政党を飛び出た経験のある人が、総裁になったようですが、こんなことをやっていたら外国勢力に影響された人が簡単に入党できてしまいますよね。地方議会であっても公聴会すらせずに、幹部だけで決めて、挙句にこういった飛び出た裏切り者を総裁にするというのは本気で政治をやろうという意思を感じられません。

 

心ある政治家は、少なくとも政党コロコロを立候補者から排除して、立候補者を決定するにしても公聴会で、党員の質問に耐えられるような人でないと出してはいけないと思いますよ。裏切る奴は何度でも裏切りますから。

作者は一日家の掃除をしようとして棚の隅の紙屑かごの中から、様々な反古を引っ張り出した。この書をじっくりと見ているうちに、文体は幼いけれども教訓の一助になりそうなものがあるので、枕紙[1]にしてしまうのはもったいないなと思い始めた。敗れたところをつなぎ合わせて、一冊の本にした。そんなものであるから、この本があっても役に立たず、役に立たないからといっても困ることもなく、宙ぶらりんの瓢箪和尚の口から、駒が出た。そう言っておこう。

 

辰年春に出版 狂仙亭春笑 記す

 


[1] 木枕の上の小枕をおおって汚れを防ぐ紙。

 

 

皆さんこういう言い訳をしますね。これが町人心学らしさというところでしょうか。藩お抱え、幕府お抱えの御用学者はこんなこと書きませんからね。

 

さて、奥付を見ますと天保15年(1844)とあります。江戸後期で、天保の大飢饉から5,6年も経ってないのにこんな戯作本もどきが出るんですね。そのパワーは立派なものです。