社長の「ひらめき」を形にし、「困りごと」を解決へと導く
金沢で 社長の最高の左腕を目指す 寺越和生です。
前回のブログでメルケル独首相の演説について書いた関連なのか、シュタインマイヤー大統領の演説の情報が飛び込んできたので読んでみた。
5月8日は日本の8月15日と同じで、ドイツが解放され、欧州において第二次世界大戦が終結した日だそうだ。
その日にシュタインマイヤー大統領は国民に、全世界に、感謝と新たな決意の演説をしたとのこと。演説の内容は、戦前ドイツが行った侵略戦争、大虐殺への反省と、戦後75年間の歩みとその到達への感謝、その75年の歩みの成果を基に、新型コロナウィルス問題をはじめとして、今後の取り組みへの決意を新たにするものであった。
絶えず歴史を振り返り、歴史を直視し、歴史の教訓を忘れずに、そして戦後の自由と民主主義の成果を共有し、それを力に、歴史を切り拓いていこうという決意であった。
シュタインマイヤー大統領の演説は、私などの世代、三世代の人たちに向けて訴えていた。正直自分は、世界史のことはよく知らない。戦前、ドイツがヒットラー総統の下、ヨーロッパ全体を侵略し、500万~600万人のユダヤ人を、アウシュビッツなどの強制収容所で有毒ガスで虐殺したことなどは知っていた。
しかし、戦争は75年前に終わっていることだし、テレビのCM「過去は変えることができないが、未来は変えることができる」ではないが、今更過去のことを反省したり、振り返るなんて言うのはどうだろうと思っていた。
シュタインマイヤー大統領は、なぜ、思い出したくない程の過去を見つめ、過去を振り返るのかについて「ドイツの歴史は、何百万人もの人々に対する殺戮と、何百万人もの人々の苦しみに対する責任を伴う、引き裂かれた歴史です」と述べ、「これを耐え難いと思う者、終止符を求める者は、戦争とナチス独裁の災禍を記憶から排除しようとするのみならず、私たちが成し遂げてきたあらゆる善きものの価値を失わせ、我が国における民主主義の中核的本質をも否定してしまうのです。」とその理由を述べていた。
「あらゆる善きものの価値を失わせ、我が国における民主主義の中核的本質をも否定」なんていうのは、どうもわからない。なぜ、過去を振り返らないとそうなるか、まだわからなかった。
なぜ、シュタインマイヤー大統領はなぜ忌々しい過去を振り返ることが必要だと言うのかという自分の疑問は消えなかった。
ところが続いて読んでみるとその訳がわかるような気がした。シュタインマイヤー大統領は「私たちドイツ人が、自らの歴史を直視し、歴史的責任を引き受けたからこそ、世界の国々は我が国に新たな信頼を寄せてくれました。だからこそ、私たち自身もまたそのような国となったドイツを信頼できるのです。」と述べていた。
そうなのか、殴った人は殴ったことを忘れるが、殴られた人たちは殴られたことを決して忘れない。殴られた人たちが殴った人を真実に赦すのは、1回限りのお詫びだけではなく、殴った原因がどこにあり、再び殴らないようにするには何が必要かなどについて深い反省をする場合だけかもしれない。
ドイツは、隣り合わせの国々と付き合うためには深い反省とそこから導き出した教訓を生かし続けること以外にはなかったのではないかと、理解をした。戦後のドイツが、歴史への直視と歴史からの教訓を生かした歩みを進めたからこそ、「世界の国々は我が国に新たな信頼を寄せてくれた」のだということが理解できたような気がした。
しかし、私たち第三世代は、戦後35年から50年も経過した後に生まれた世代。戦前の歴史に責任が全くない世代。だから、これまでは過去を振り返るのは確かに重要で必要なことだったんだろうが、これからは、いつまでも過去を振り返る必要はないのではないかと思う。
ところがシュタインマイヤー大統領は「記憶するという営みに終わりはありません。私たちの歴史からの救済はありません。記憶を呼び起こさなければ、私たちは将来を失ってしまうからです。」と述べるのだ。
なぜ、戦後生まれの私たち第三世代も戦前の歴史を振り返らないといけないのか、なぜ戦前の過去を振り返らないと未来を失うのか、よくわからない。だけど、シュタインマイヤー大統領の結びの言葉、「終戦から75年。私たちドイツ人は多くの感謝すべき状況に恵まれています。しかし、あれ以来得られてきたそうしたありがたい成果のうち、ひとつとして永遠に保障されているものはないのです。5月8日は、解放が終わった日ではありません。あの日から、自由と民主主義の追求が託され続けているのです。私たちに、託され続けているのです」を読んで、少しだけその気持ちがわかったような気がした。
