戦時下の俳句は戦場、銃後を問わず戦争俳句と呼ばれるそうだ。
それらを収集した「戦争俳句と俳人たち」(トランスビュー社)という本が今年出た。著者は俳句愛好家でもある樽見博さん。東京の古書街、神保町のビルの一室から「日本古書通信」という月刊誌を発行している。
土地の利もあり、戦中の俳句同人誌を集めに集めた。古本市で一冊百円、捨てられそうなものも。薄い冊子でも積めば山となり自宅の六畳間いっぱいに。
◆戦場で詠まれた俳句
樽見さんは、父親が南方トラック島の通信兵で、当時のことはしばしば聞いていた。やがて思い立ったのが、戦争俳句から当時の世相、人々の心情は読み取れないかということだった。ほんの一部だが、紹介しよう。
日中戦争下には「支那事変三千句」があった。俳人山口誓子(一九〇一~九四年)による選抜句をいくつか挙げると、
・寒夜くらし暁(あ)ヶのいくさの時を待つ(長谷川素逝)
・敵の屍まだ痙攣す霧濃かり(熊谷茂茅)
・雪にきしむ軍靴ばかり夜を征けり(笠李雨)
・霜の闇馬蹄にかけしものを想ふ(水見悠々子)
一番目の素逝は昭和十二年、三十歳で砲兵将校として大陸にわたっている。最前線での句は特に戦闘俳句と呼ばれた。
また戦線の日常を詠んで、
・寝る時のさむさに生きてゐるを思ふ(佐々木秋人)
・落日をゆく落日をゆく真赤い中隊(富澤赤黄男(かきお))
・焚火たくわれふるさとの夜にゐぬ(柿田汀月)
よんで、皆さんは何を思われるだろうか。戦争を知る世代は思いも深いに違いない。戦争を知らない世代は、戦争が人にもたらすであろうさまざまなものを少しは想像もできるのではないか。
いわゆる戦記文学とは違って、一句ずつがずばりと胸をついてくる。時代の空気は意識的にも無意識的にも反映されて、また厳しい言論統制も始まるが。
本は有名句も収載する。昭和十九年、教え子を送り出す中村草田男(一九〇一~八三年)の、
・勇気こそ地の塩なれや梅真白
その「かどで」に際し無言裏に書き記したという。戦場でも自暴自棄にならず厳寒の白梅のごとき高潔と勇気をもて、と。
◆“オヤジ”の軍隊手帳
無名有名を問わず、戦争俳句は一句ごとがその人の戦争なのである。それらが無数のごとくある。
次にある兵士の軍隊手帳を紹介しよう。NHK岐阜放送局高山支局の記者中林利数さんが父親の遺品の中に見つけた。“オヤジ”は二十二歳の時、中国戦線の山砲隊上等兵だった。
記述は生々しく、最初弟と妹と自分の三人だけで読んだ。
しかし報道に携わる者として、活字にできない部分はほんの少しあるものの、やはり一切を伝えねばならないと心を決め、昨年八月地元で出版した(「戦傷奉公杖」高山市民時報社)。
内容は馬の世話、弾薬運び、兵舎の暮らし、そして戦闘など。
手帳 の終わりは以下のよう。
激しい抵抗 に遭い、
<敵ながら天晴れだ。今夜 は炊飯も出来ない。体は濡れて寒い。6時幕舎に休養>。
負傷し帰還。
俳句同様、戦場日記も無数 にあったはずだ。
歴史書がただ日中戦争とか、太平洋戦争と記そうとも、戦争は当然ながら人の数だけあったのである。口伝もあるだろうし、語りえぬむごさもあるだろう。
