yeah-she 再生工場 -18ページ目

yeah-she 再生工場

極めて個人的趣味嗜好の為の遊び場

日曜日は、昼に観劇、そして夜は前衛舞踏を観てきました。


昼に観たのはこちら


劇団ロック×ロックの百鬼繚乱という舞台でした。

笹塚ファクトリーという劇場でしたが、もう直ぐ無くなってしまうそうで。

舞台の内容は、殺陣が多くて、踊りあり歌あり、コメディや恋愛や友情あり、などなどのバラエティに富んだ劇でした。

ひとつ思ったのですが、今のお芝居って、劇中にダンスするお芝居が多いのかな?

昔からそうなのかな?

たまに、何故ここで踊る?っていう舞台もあったりするので、観客を楽しませるという事を重視しているのかな、とか、話のひとつの区切りとして入れてるのかな、とは思うのだけれど、

必然性って大事ですよね。



そして夜はこちら


以前から何回かこの方の表現が気に入って観に行っています。

実験舞踏ムダイさんという方です。


昼の商業演劇、というのでしょうか、エンターテイメントとは方向性が全然違うと思われるものですが、こちらの様な表現が私にとっては楽しいのです。

こちらでは、インプロ(即興)で出演者が表現していくという舞台でした。

面白いもので、決め事無しに表現はスタートするのですが、最終的には何かしらのストーリーというか、観ている人の中に意味が発生しているんですよね。

目の前で繰り広げられている事は、いっときとて同じ動きをしないダンサー、言葉にならない声を発するボイスパフォーマー、旋律を弾かず、場の空気に反応して、ギターらしくない音を出すギタリスト、出典不明の本を感情に任せて抑揚を付けて朗読した後に、音や光やダンサーに呼応して動き始めるムダイさん。

セリフも無い、動きも音も抽象的、

そんなパフォーマンスでした。



人によっては、観ていてなんのこっちゃさっぱり解らないものだとは思います。
媚びは無いですからね。


そういう表現になぜ私は惹かれたのか。

考えた事があります。


おそらくですが、現代って説明過剰な事が多過ぎる気がするのです。

例えば、電車の車内アナウンスとかね。

絶え間なく流れて、確かに便利ではありますが、うるさいなと思う事もあります。


表現においてもその傾向があります。

テレビはほぼ観なくなりましたが、その原因としては、テロップが煩わしいなと。

あれがあると、適当に聞き流してもテロップ出るからいいやと思って真剣に観ないし、ちゃんと聞いてるのに、いちいちテロップ出るからうるさいんですよね。

ひとつひとつ挙げてくとキリが無いんですけど、全体的にわかり易すぎて深みが無いというか、観る側、聴く側の範疇を超えないんですよね。悪い意味でまとまってしまってるというか。



話を戻すと、判りやすいの反対で、判りにくいものには魅力がある、という事なのです。


観客としてそこに居るけれど、目の前に提示されているものに説明はなく、解釈は観客に委ねられている。

しかしだからと言って適当な表現ではなく、そこには過剰に表現者の熱が込められていて、何だか解らない言葉にならない執念の様な想いが注がれているので、観ていて飽きる事が無いんですよね。

そういうものに触れた時に、私自身の思考や想像力や世界観が刺激されて、とても幸福を感じるのです。


(これは何を意味してるんだろう?)

頭の中でグルグルと様々な事を考えるのがとても楽しいのです。