Y田さん、今日は何に怒っているんですか?

Y田さん、今日は何に怒っているんですか?

「そういう星のもとに生まれてきた」と言われるほど、様々な出来事に振り回される私。毎日いろいろ湧き出てくる、SNSに「書けない」本心をつづるページ。

Amebaでブログを始めよう!
大学時代の4年間。
おそらく人生で一番楽しい時を過ごしました。 自分で決めて、自分で動く。学ぶ。つながる。
自分の世界が広がっていく実感を毎日感じていました。
一方で、両親の支配も色がどんどん濃くなり、
パーマ コンタクトはNG、友達と旅行もNG、なんと門限が18歳で夜8時。
学部が所沢だったので、当時6限目まで授業に出ると、6時。そこから学バスにのり、
電車にのり、2時間かかって最寄り駅へ。絶対8時は過ぎてしまいます。
どうやら両親(特に母)には、授業が終わってから少し友人と話すとか、電車の待ち時間とか、西武線とJRまでの歩きの距離とか、帰りにカラオケにいくとか、そういうことが頭にないらしく、純粋な乗車時間で90分だと。 
8時を過ぎると駅の改札に仁王立ちで立っているので、本当に困りました。

バイトも厳禁。だけど、おこずかいをくれるわけではないので、なんとかして稼がなければなりません。初めてやったバイトは大学生協の棚卸でしたが、一生懸命頑張って、とても褒められたことを家に帰って話したら、

「同じ時給をもらうのに、人より働くのは馬鹿だ」と。

・・・絶対その考え方は違うと思ったのですが、働くという事がわかっていなかったその時は言い返すことができませんでした。
その違和感がぬぐいきれずにいたのですが、最近になってやっと私とは考え方が違うのだから、意見が合わなくて当然と思えるようになりました。
30年に及ぶ精神的支配。長かったです。
大学4年になりましたが、私はやりたい研究ができてしまったので、大学院へ。
大学院ではさすがに通学する時間も惜しかったため、2年間の下宿をしました。
家賃4万5千円と学費は出してもらえるよう交渉して、それ以外はすべて自分で稼ぐという約束。金銭的にはとてもつらかった(だって教科書も学会参加費も生活費も何もかも自分で賄うから。)けれど、親元を離れた2年間はとても幸せでした。
たぶん、あの時間があったから、今こうしていられるんだと思っています。