二歳の女の子が紙パックのジュースを飲みたくて、吸い口にさしてあるストローに口を近づける。しかし、ストローの長さが違ったのか、または違う理由だったのか、ジュースを飲まずにストローをいじり始める。その後、結局自分の思い通りにストローは動かず、紙パックの中に入ってしまった。
私はジュースがこぼれるのを防ぐため、女の子にこちらに渡すように催促する。
しかし女の子は、予想通り、むしろそれ以上に、紙パックを逆さまにしてジュースを座布団にこぼし始めた。
慌てた私は、女の子から紙パックを急いで取り上げた。
女の子は特に反応することなく、ジッとジュースのこぼれた座布団をしゃがんで見ていた。そして、険しい顔をしながら私を見て、「コップにジャーするね(コップにジュースを入れると良かったね)」と言った。
私はこの言葉を聞いて、ジュースを取り上げてから女の子の様子を伺っていたこと、また、安易に咎めることをしなくて良かったと思った。それと同時に、女の子の考えを読み取ることができたような気がして、嬉しかった。
女の子が紙パックを逆さまにしたのは、紙パックの中に入ってしまったストローを取るためだったと推測できる。逆さまにするとジュースがこぼれるのは当たり前なのだが、二歳の女の子にとっては、ジュースを飲むにはストローが絶対必要で、逆さまにすればジュースがこぼれると同時に考えるのは難しかったのかもしれない。私がジュースを取り上げて、初めて女の子はジュースをこぼしたことに気づき、こぼした反省とこぼさないために自分はどうすべきだったのかを考えて、コップにジュースを入れれば良かったと言ったと思う。二歳の子どもが自分の行動に対して、自己反省と改善点を自ら見出すことができることに、私はとても驚いた。
このような場面では、子どもがこぼしたことに対して咎めるのは自然なように思いがちである。しかし、咎める行為が有効になるのは、起きた事象と咎められたことが子どもの中で一致したときである。
私と女の子の場面では、こぼしたときに女の子はこぼしたことを認識するまでには至っておらず、仮に私が咎めたとしても、女の子は私が何を言ってるのかわからないはずである。わからないのに咎められるのは、子どもにとっては理不尽なことで、後に残るのは私や大人に対する不信感や恐怖感である。
私達大人は、つい自分達が当たり前にしていること、社会全般で常識と捉えられていることを、子どももわかっていると思っているところがある。
しかし、当たり前や常識と認識するまでに、たくさんの経験を重ね、失敗もしてきたはずである。
単に良いこと悪いことで子どもの行動を判断するのではなく、「人間は同じ系譜を辿る」ということを踏まえ、子どもの行動に対してどんな働きかけが効果があるのかを見極める。そういう姿勢も大事なんだと、二歳の女の子から学びました。
私はジュースがこぼれるのを防ぐため、女の子にこちらに渡すように催促する。
しかし女の子は、予想通り、むしろそれ以上に、紙パックを逆さまにしてジュースを座布団にこぼし始めた。
慌てた私は、女の子から紙パックを急いで取り上げた。
女の子は特に反応することなく、ジッとジュースのこぼれた座布団をしゃがんで見ていた。そして、険しい顔をしながら私を見て、「コップにジャーするね(コップにジュースを入れると良かったね)」と言った。
私はこの言葉を聞いて、ジュースを取り上げてから女の子の様子を伺っていたこと、また、安易に咎めることをしなくて良かったと思った。それと同時に、女の子の考えを読み取ることができたような気がして、嬉しかった。
女の子が紙パックを逆さまにしたのは、紙パックの中に入ってしまったストローを取るためだったと推測できる。逆さまにするとジュースがこぼれるのは当たり前なのだが、二歳の女の子にとっては、ジュースを飲むにはストローが絶対必要で、逆さまにすればジュースがこぼれると同時に考えるのは難しかったのかもしれない。私がジュースを取り上げて、初めて女の子はジュースをこぼしたことに気づき、こぼした反省とこぼさないために自分はどうすべきだったのかを考えて、コップにジュースを入れれば良かったと言ったと思う。二歳の子どもが自分の行動に対して、自己反省と改善点を自ら見出すことができることに、私はとても驚いた。
このような場面では、子どもがこぼしたことに対して咎めるのは自然なように思いがちである。しかし、咎める行為が有効になるのは、起きた事象と咎められたことが子どもの中で一致したときである。
私と女の子の場面では、こぼしたときに女の子はこぼしたことを認識するまでには至っておらず、仮に私が咎めたとしても、女の子は私が何を言ってるのかわからないはずである。わからないのに咎められるのは、子どもにとっては理不尽なことで、後に残るのは私や大人に対する不信感や恐怖感である。
私達大人は、つい自分達が当たり前にしていること、社会全般で常識と捉えられていることを、子どももわかっていると思っているところがある。
しかし、当たり前や常識と認識するまでに、たくさんの経験を重ね、失敗もしてきたはずである。
単に良いこと悪いことで子どもの行動を判断するのではなく、「人間は同じ系譜を辿る」ということを踏まえ、子どもの行動に対してどんな働きかけが効果があるのかを見極める。そういう姿勢も大事なんだと、二歳の女の子から学びました。