社会人とは。
小学校の時はいじめられてた記憶しかない。
その理由は、ちょっとした出来事だった
おふざけで友達のお尻を触た。そこからはまだ小学生の頃には想像もできないほど後悔する毎日だった。
変態、エロ仙人、等々の罵詈雑言の毎日。
友達もまともにできなかった。
休み時間は友達もいなく、よく自由帳に絵を描いていた記憶がある。
人付き合いは好きな方ではあった。
しかし、毎休み時間に悪口を言われる毎日。
友達もできるわけがなく、毎日自由帳に絵を描いていた記憶がある。
何を言われても無視をしていた。
次はクールぶんな、ナルシストと同級生や先生から嫌われていた。
地獄の毎日だった。
家に来て、おじいちゃんの前でここがナルシスでエロの家かと家をつけられて散々罵倒された事もあった。苦しかった。リコーダーを隠された日もあり、リコーダーを1年間で5本ほど買い換えた記憶がある。その度におやは何も言わずに高いリコーダーを買ってくれた記憶がある。
小さい頃、親に相談できるでもなく耐える日々だった。
中学生に上がり、また嫌われたら地獄みたいな日々が続くと思い、入学前日に髪をバッサリ切っり、みんなと話す時は笑顔で明るく騎乗を振る舞った。
すると、どうだろう。
多くの友達が自然とできた。嫌われたくない一心で、面白くない事も全力で笑った。嫌いなやつでも全力で付き合った。
どんな嫌なことでも、嫌な顔せず率先して行動した。
<小学生の時とは比べものにならないほど学生生活は楽しさで溢れていた>
果たして、本当にあの時の自分は
"満たされていたのだろうか"、、、?
確かに友達はできた。楽しかった。
いじめられっ子からの大逆転である。
そして、社会人になった思う事がある。
ふと思い返した時、昔の自分は、笑顔を顔に貼り付けて、愛想良く、嫌われないように自分の心を無にしていた。
"いじめられない中学生活を楽しむ"事はできたが、本当に心から楽しむ事のできないつまらない日々だった。
それは今の社会人になっても、やっている事全く同じ事ではないだろうか??
その理由が、"いじめられたくない"から"お金"に変わっただけではないだろうか?
ふとした時に考えてしまう。
本当に中学生の時は<楽しかった>のかそれならば、社会人の今も<楽しい>のでは、ないだろうか?
確かに、年齢を重ねるにつれて楽しさは変わってくるものである。
しかし、それは大人になった証なのだろうか?
答えは否だ。
つまらない大人になってしまった。