昔、私は社交辞令が大嫌いだった。
「今度ご飯食べに行こうね(^^)」なんて言ったら、たいがいは社交辞令で終るでしょう?
でも私はそうじゃなかった。
実現されるされないは私だけの問題じゃないから、実現されないこともあったけど、少なくとも私が言う「今度ご飯食べに行こう」は本当に行くつもりがあるから口にしていた。
だから、イヤだと思った人には「うん」とは決して言わない。
だって、行きたくないから。
だけどいつからだったかな?
社交辞令を自分が口にするようになったのは。
あれほど嫌いだったのに。。。
私はいつの間にか本音と建前を使い分ける人間になっていたんだなとふと思う。
決してそれは悪いことではない。
社会の中でうまく生きていくには多少の嘘も必要だと、自分自身の体験から身についたものだから。
だけどたまにふと思う。
嘘には変わりないんだよな・・・と。
そんな風に言ううちに、本当に信用して欲しい真実を口にしても、相手には信じてもらえなくなってしまうんじゃないだろうかと。
私がいくら相手のことを想い、その人に対しては真実を告げているとしても、相手がそう感じなければそれは真実として伝わる事はない。
難しいことだね。
言葉にいくら想いを乗せても伝わらないこともある。
相手が同じように私を想ってくれていなければ、相手が同じように私を大切に感じてくれなければ、私の想いとその相手に伝わった想いとでは差が生じてくる。
活字にしてしまえばどれも同じ。
誰が発しようと見た目は変わらない。
そこに私個人の想いを乗せ相手に伝えることの難しさを、最近ヒシヒシと感じます。
だからこそ言葉を大切にしなくちゃいけないなと思うのです。
相手にどう伝わるのかを考えて、きちんと発しないといけません。
言葉は使い方によって、人を傷つけることも出来るし、人を暖かい想いに包んであげることも出来ます。
そんな難しい「言葉」の選択の仕方、使い方をこれからもっともっと身につけていきたいなと私は思っています。