私は、再生不良性貧血以外にも、問題があります。

体の病気ではなく、脳の異常です。

生まれつき高機能自閉症という発達障害を持っている私は、

普通と比べて、少し変わっているようです。

しかし、決して不自由だと思った事はありません。

何故なら、歪んだ脳で生きている世界が、私にとっての普通だからです。

 

高機能自閉症とは、自閉症の中でも、

知的な遅れを伴わないタイプの自閉症のことを指します。

学校の勉強で困ることはありませんが、

会話が苦手だったり、空気が読めなかったりします。

感覚過敏であることも多いです。

 

少し前にイギリスで、自閉症の人から見た世界というゲームが話題になりました。

↓これが、そのゲームのプレイ動画です。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=68&v=DwS-qm8hUxc

普通の人が、この動画を見ると、怖いそうなのですが、

私には、何がおかしいのか、さっぱりわかりませんでした。

何故なら、これは私が毎日、体験している世界だからです。

逆に、私は、普通の人の世界を見てみたいです。

もしも、普通の人の世界を体験することができたら、

今よりも、他人のことが理解できるかもしれません。

 

自閉症のせいなのか、漠然とした「いきづらさ」のようなものを感じる事はありますが、

何故、そう感じるのかも分かりません。

周囲の話についていけないから?

人の輪に入るのが苦手だから?

人間の世界には、明文化できない不思議な習慣がたくさんあって、

理解に苦しむ事がたくさんあります。

 

自閉症者が苦手なのは、暗黙の了解など、

明文化できないルールであると言われています。

例えば、法律は文章で書かれているので、

理解するのが容易ですが、マナーを理解するのは苦手です。

何故なら、マナーとは、不動のルールではなく、

個人の意識や状況によって、変わることがあるからです。

 

しかし、私には私の世界があります。

私は、音楽を作ったり、文字を書いたりする方が得意で、

予定がない日は、一日中パソコンと、にらめっこしています。

普通の女性らしく、友達とショッピングに出かけたり、

女子会に行ったりすることは、稀です。

どちらかといえば、こうしてパソコンを触っている方が楽しいのです。

※だからと言って、人が嫌いなわけではありません。

   上手に付き合っていく方法が分からないから、ストレスを感じるのです。

 

私は、創作活動が大好きですが、誰かと「感情」を分かち合いたくて、

何かを作ろうと思った事はありません。

何故なら、私の頭の辞書に「シェア」や「共感」という言葉は収録されていないからです。

そのせいか、若者のくせにSNS文化に染まりきれません。

iPhoneにダウンロードしているSNSは、LINEだけで、

Twitterも、Instagramも、Facebookも、未だに利用法が分かりません。

何故なら、私には、共感性が皆無だからです。

そもそも、自分の食べている物を投稿することに、

何の楽しみがあるのでしょうか。

私には、さっぱり分かりません。

 

共感を強いるという行為は、ある意味、価値観の強要だと思う事があります。

「私はこう考えているから、相手もそう思っていて欲しい」

これは、女子小学生の友達ごっこにも似ています。

「私たち、友達だよね。ズッ友だよね」的なアレです。

相手が友達だと思っていなかったとしても、

ここで頷かなければ、絶交とでも言いたいのでしょうか。

これが、価値観の強要です。

私が、創作活動をする意義とは、共感ではありません。

一個人の思想として、読者に投げかけているだけなのです。

 

再生不良性貧血と高機能自閉症は似ているような気がします。

どちらも、一見、普通の人と何も変わりません。

世の中は、目に見える障害の人たちにばかりスポットライトが当たりますが、

目に見えない障害の人は、同じ土俵に立つことすら難しいです。

しかし、健常者よりも遠回りしなければならないことに変わりはありません。

 

私は、生まれた時から、ずっとハンディを抱えていますので

遠回りには慣れっこです。

大変な思いもしましたが、現在は、親族等の援助も受けずに、

自立した生活を送ることができています。

 

世間の普通からかけ離れていたって、良いのです。

大切なのは、自分にとっての幸せを見つけることです。