フランスに里帰り兼イタリア旅行から帰ってきた友達、
スペインのチャーター便の機内雑誌を、千切って持って帰ってくれました。
日本では知られていることなのかも知れませんが、
知らなかった私は、「頑張っちゃったんじゃなぁ。」 と感激したので、ここで紹介。
その記事によると、
南スペインの小さな街、コリア・デル・リオに、
現在、“JAPON” という苗字の人達が、600人余りいるそうです。
1614年に、仙台のハセクラ・ツネナガという人をリーダーに、何人かのお侍さん達が、
ローマ法王に、日本のキリスト教徒の救いを求めて、海を渡ったらしいんです。
途中で、貿易の交渉をしにスペインに寄り、失敗に終わり、ローマでも相手にされず、
帰りに再びスペインのその街に立ち寄ったのですが、
死を恐れず、スペインで自由にキリスト教を信仰したくてか、
それとも、スペインの女性と恋に落ちたのか、
数人、日本へ戻らず、その街に留まったらしいんです。
日本の苗字はスペイン人達には発音し難いので、“JAPON” が苗字に使われ、
その名を引き継ぐ子孫の人達が、今では600人余りその街に居るわけです。
インターネットなどなく、日本への電話が一分二百円近くした26年前に、
日本の物が手に入らない、当然、日本語のテレビ・チャンネルなどないところに移住した私は、
そのお侍さん達が、背の高い異国人に囲まれ、訳わからない文化の中、
言葉がわからず、言いたいことも言えず、
遠い故郷、故郷の人達を想い、恋しく、
不安、寂しさ、情けなさ、口惜しさ... 想像が出来て、
私の経験など比べものにならないほど、大変だったんだろうな。
海を眺めて、何度も涙を流したんだろうな。
自分で選んだ道だから後悔してはいけないと自分に言い聞かせながらも、
後悔したこともあっただろうな。
よく頑張ったな。 頑張るしかなかったんだろうな。
ダメだ、もうダメだ、と思いつつ、少しずつ大丈夫になっていったんだろうな。
...などと、いろいろ考えてしまって。
街には、そのハセクラ・ツネナガさんの像があるようで、
数年前に、ドライブ旅行ですぐ近くを通ったので、知っていたら寄ったのに、と残念です。
その子孫の人達、あまりもう日本人の面影がないのですが、
時々、お尻に青いマーク、蒙古斑がある赤ちゃんが生まれるんだそうですよ。