週末は、よく、小さなカフェで主人と過ごすのですが、
先週末やっと、憧れの一番人気の席である、ぼろぼろのソファに座ることができたのです。 イェーイ!
ソファの傍にある本棚に、心理学者の夫婦が書いた、結構売れたらしいシリーズの一冊があったので、
スマートホーンでニュース記事を読んでいる主人の隣りで、読んでると、
妬みについての話がありました。
妬みは、文化的なものがあるような気がします。
長男が中学生の時、生物のクラスの点数稼ぎに私がやってやった科学研究が、
手違いかなんかで、ディスカバリー・チャンネルに選ばれてしまい、
息子はアメリカ中から選ばれた数十人の一人として、ワシントンでの科学コンテストに招待され、
私が同行したのですが、
アメリカですから、当然いろんな人種の生徒達で、同行のお母さん達はいろんな国出身の人達でした。
子供達が撮影中、エジプト人と香港人のお母さん達ととても仲良くなったのですが、
コンテストの結果発表で、自分の子供達が賞をもらえなかった時、
優しい、いい人である彼女達が、優勝した子の批判をしたり、コンテストの不公平さを文句言うのに、
驚いてしまいました。
うちの息子達はカトリック系の小中学校に行ったので、
私のお母さん友達は “嫉妬は罪” とするキリスト教の文化の人達だったからか、
あからさまに妬みの気持ちが背景にある発言をする人はいず、
他の子のことでも 「よかったね。」 と言うこと、言う努力することが普通の環境だったので、
とても違和感を感じたのでしょう。
もちろん、その文化の皆が皆なわけではないですが、
モロッコ人も妬みが多い人達です。 (主人は例外。)
フィリピン系やシンガポール系のアジアン・アメリカンの知り合いも、嫉妬心が強いのか、
陰で他の人達、特によくやっている人達のことをあこれこ批判する人が多いです。
日本人もそんな文化のように思います。
カフェで読んだその本に、
“常に、自分よりお金持ちの人、自分より似合う髪型の人、自分のより素敵なキッチンがある人、自分より速く出世する人がいるものです。 妬ましさにお金を費やしても、それは犬が自分の尾を追っかけるようなもので、進歩はありません。 しかし、相手のことが妬ましいという自分の気持ちを認め、受け入れようとする努力をすると、本当に自分の気持ちが満足するには、自分は何が要るのか、何がほしいのか、ということを基に判断できるようになり、それはまた、長い目で見るとよっぽど報酬の大きいことなのです。
他の人達のいいことや運の良さを喜べることは、あなたをもっとピースフルな人にしてくれます。 実際、他人のことを喜べるということは、精神のヘルシーさのサインと言われます。 考えてみると、妬みはとてもストレスを感じる感情です。 そういう感情を失くす訓練をしてください。 そしたら、もっと幸せで心が満ちた自分が見つかることでしょう。”
とありました。
文化的な国民性なのでしょうが、自分自身の心を満たし幸せでいるためにも、
私達日本人も、人を妬むことはしないように努力し、
心から 「よかったね。」 と言える人でいたいですよね。