最近は、英語習得のために、小学生から子供を留学させるたりするらしいですね。
興味を沸かせるくらいの経験の目的で、夏休みの間の語学キャンプくらいならいいでしょうが、
地元の学校に入れる本当の “留学” は、無駄でリスクがあり過ぎように、私は感じます。
子供って覚えるのも早いですが、忘れるのも早いですから、
帰国後、英語の環境にどっぷりならともかく、英語教室通ったところで、すぐに喋れなくなってしまうでしょう。
ロンドン育ちの友達の娘もやっぱりそうで、周りからのプレッシャーで、仕舞いには英語嫌いになってました。
大体、小学生のレベルの英語が出来るようになっても、余り意味がないと思うのですが。
脳の発達がどうのこうので、子供の時に発音を習得した方が... という人もいるのでしょうが、
どうして日本の人達は、そんなに発音に拘るのか不思議です。
いくらRやTHの発音が出来るようになっても、レベルの低い英語じゃあ意味がありませんし、
それに、今のアメリカは優秀な外国人がどんどん移民していて、
訛りがある方が、インテリジェントなイメージ、チャーミングなイメージさえあります。
通じさえすれば、訛りがある英語を堂々を喋ればいいことで、そんなに発音に執着することはないと思います。
それに何よりも、留学のため、日本語が中途半端になるんじゃないか心配です。
欧米の言語は似てますから、バイリンガルは容易いことですが、日本語と英語の両立は子供には大変です。
今、アルジェリアは “言語危機” にさらされているという記事を読んだことがあります。
アルジェリアの若い世代の人達は、マルチリンガル文盲で、
過去の植民国のフランス語、国家語のアラビア語、ローカル語のベルベル語、似ていない三つの言語、
どれも中途半端にしか出来ないのだそうです。
同じくフランスの植民地だった隣りの国、モロッコも似たような感じです。
主人はフレンチ・スクールに行ったので、例外なんですが、
ほとんどのモロッコ人は、中途半端なフランス語とモロッコ方言のアラビア語を混ぜて喋ります。
ひとつも語学が完璧に喋れないと、表現力だけじゃなく、思考力も限られてしまうような気がします。
そんなモロッコ人の知り合いは、話をしていても深みがないんです。
深い語学力なしに、深い思考力がつくわけがありませんから。
逆に、フランス語とクラッシク・アラビア語を完璧に喋り、どちらの言葉の文学も親しんだ義父は、
それはそれは深みのある人でした。
昔、大学で、一時アメリカで育ち、大学に行くためにアメリカに戻ってきたというパターンの女の子と、
クラスが一緒になったことがありました。
英語の発音は上手でしたが、授業についていけなかったようで、途中でクラスに来なくなりました。
もちろん、それが中途半端な日本語と英語のせいなのかどうかはわかりませんが。
長男も、カラオケで一緒になった日本同士で固まっている大学生の中に、訛りのない女の子が何人かいたけれど、
どの子も優秀ではなさそうだったと、言ってました。
日本語の訛りがある男生徒の方が、卒業間近という話だったとか。
もちろん、それも思考力の基盤となる語学力の差とは、関係ないのかも知れませんが。
英語の文法はシンプルですし、他の言語と比べて習得し易い言語です。
日本語を蔑ろにしてまで、小さな子供達に英語を押し付ける必要なないんじゃあないでしょうかね。
きちんと日本語を学び、思考力を伸ばさせてあげてからでも、留学は遅くないと思います。
RやTHがアメリカ人のように発音できなくたって、深さのあることの方が、よっぽど素晴らしいことですから。