回顧録: 息子への手紙 17 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

義父のことも、義母のことも、前夫のバイクの前に飛び出したドライバーの女性のことも... 相手の立場に立つ努力をし、なんとか許すことができています。 なのに、どうしても未だに流すことができず、わだかまりとして残っていることがひとつだけあるの。 許すことができない自分が情けなく、辛いんです。 

大好きな日本、誇りに思う日本文化ですが、私には理解のできない考え方やしきたりがあります。 時は流れ、人は変わり、そんなことも今ではもう昔のことなのでしょうが...


他家に嫁いだ娘の私は、もう家族の一員ではありませんでした。

前夫の事故の前に、二ヶ月くらいの貴方を連れて実家に帰ったことがありました。 新幹線の窓から涙で霞む故郷の桜を見た日以来初めての、心躍らせての帰省でした。 そしてまた、嫁いで初めての帰省でもありました。

まだ貴方は夜中に何度か目を覚ましていた時期のこと、朝の8時頃、日曜のことだったわ。 私はパジャマのままで、眠気でぼっとしながらテレビの前に座っていました。 すると、早起きをし、家事を済ました母から、「何様だと思っているの?!」と、叱られたのです。 

ホームシックやいろんな思いを背負いながら、異国で“外人”として生活する娘。 子供を抱え、遠いところからやっと帰ってきた娘。 初めての乳児の世話で疲れている娘。 でも、私はもう娘でも、家族の一員でもなかったの。 

それに、貴方は外孫です。 他家に嫁いだ娘の子。 母は貴方のオシメを替えてくれることもありませんでした。 だから、会いたくてしょうがなかった友達と出かけることなんてできなかった。 夢にまで見ていたんだけどね。 母は、母親というものは遊び呆けるものではない、と思っていたようでした。


未亡人として日本へ帰った時も、それは変わりませんでした。 母から、弟に悪いから私と貴方の面倒はみない、と言われたの。 つまり、もう家族ではない私と外孫の貴方の世話をするのは、家族の一員であり、将来“内孫”を持つ弟に申し訳がないということだったのです。 私にはもう帰るところはないんだと、自分に言い聞かせたわ。
 

伯母がこう言ったそうです。 「早く嫁に行かせないと駄目になってしまう。」

“嫁に行かせる”... “行かせる”... 再婚したいかどうか、私の意思、気持ちはどうなるの?

“駄目になってしまう”... “駄目になる”ってどういう意味? 

悔しかった。


そんな伯母からの影響だったのでしょうか。 外人のミックスの子供を連れて出戻った娘の私に、世間体が悪かったのでしょうか。 優しくしては、私が強くなれないと思ったでのしょうか。 あの時の親の立場に立ってみようと努力はしてみます。 でも、いろんなことがあり、日本での生活を選ぶしかなかく、すり切れた心で実家に戻った私でした。 一生のうちで、あの時ほど親からの優しさ、支えがほしかった時はなかったわ。

いつか、こんなわだかまりを流すことができるのでしょうか。 親を亡くした時に、こんな自分を後悔するのでしょう。 本当に情けないことね。 

アメリカで世間体やしきたりなどにとらわれることなく、貴方達の気持ちを一番に考えながら貴方達を育ててあげれる私は、幸せな親なのか知れません。

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

“I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.” これは前夫の事故の数週間後、自分への約束として手帳に書いたものでした。 

“I will always love you no matter what.” (どんなことがあろうと、貴方のことを愛します。)
“You are my son forever and ever.” (いつまでも永遠に、貴方は私の息子です。) 

貴方が何をしようが、どんなことになろうが、世の中が貴方のことを見捨てたとしても、私は貴方を愛し続けるわ。 だって、貴方は私の息子なんだから...