回顧録: 息子への手紙 10 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

ドアを開けて入ってくる彼... 窓辺に立って外を眺めている彼... ソファーに横たわる彼... 前夫のシルエットが視界の隅のあちらこちらで現れるアパートで、私は精神的にくたくたになっていました。 一人で病院通いと貴方の世話は大変だろうと、義理の両親の勧めでアパート引き払い、丘の上の大きな家で義理の家族、両親、妹、弟達と暮らすことになったの。

私は義理の家族が皆大好きでした。 妹や弟達とは、義理の兄弟というようりも仲良しのいとこのような関係だったわ。 でも、一番気が合ったのは義父でした。 その頃はまだ、街を歩けばサインを求められることもあるような人でしたが、有名人ということを鼻にかけた様子は一切なく、ハグの好きな愛情に満ちた愉快な人でした。 家族が白ける冗談に、私がくすくす笑うのが嬉しそうだったわ。

私は義母とも仲がよく、とてもよくしてもらっていました。 でも、事故の後、少しずつ義母は変わっていったの。 息子があんなことになって、母親の自分がとても可哀そうだったのでしょうね。 義父や子供達に対しては自己中心的な言動をするようになっていました。 特に義父には辛く当たっていたわ。 確かに、一人目の子供を失いかけていた義母の気持ちは、想像もつかない悲しみでいっぱいだったでしょう。 彼女を責めることはできないわよね。 ただ、義父や妹弟は義母と違い、悲しみを胸に押し込めるタイプだったから、そんな家族の状態を見ているのは辛かったわ。

ある夜、家族で、大ヒットした映画ということであらすじも知らず、デミ・ムーアとパトリック・スウェイジの「ゴースト/ニューヨークの幻」を観始めたの。 亡霊となった男の人が恋人を守るという話。 どんなシーンだったかしら。 男の人が自分が死んでしまていることに気づき、もう恋人を抱きしめれないことに悲しむ... そんなシーンだったかしら。 いつも冷静な義父が何とも言えないうめき声を一瞬あげ、部屋を出て行ったことがありました。 息子のことを思ったのでしょう。 取り乱す義父の姿を見たのは、それが最初で最後でした。

妹弟達は泣く姿をほとんど見せたことがなかったわ。 とても仲のよい五人兄弟で、前夫は皆にとって大好きなお兄ちゃんだったんだけど、辛い姿を見せて両親や周りの者を悲しませてはいけないと、気を使っていたのでしょうかね。 皆、凛として、私を慰めようとすらしてくれていたわ。 

大切に思っていた義理の家族の心がばらばらになっていく様子に、胸がとても痛みました。 何かをしてあげたかったの。 

ある日、貴方と一緒に義母の働くオフィスに薔薇の花束を持って行きました。 お昼に招待したけど、忙しかったみたいで断られたわ。 その後、義父の会社に顔出してお昼に誘ったら、とっても嬉しそうにすぐに出かけてくれました。

そして、レストランで、義父に... なんて言ったらいいのかしら... 義理の娘としてではない、私への気持ちを告白をされたの。 気が合った義父でしたが、まさか私に対してそんな感情を抱いていただなんて、想像もしたこともありませんでした。 30歳以上年上の人。 主人の父親。 困惑した私が言えたのは、「どうか、自分の気持ちをコントロールしてください。」とだけ。 もっと強くはね付けるべきだったのかも知れないけど、その頃の私はまだとても日本人で、年上や義理の者への敬意が強く、それ以上のことは言えませんでした。 

その後、義父は私を待ち伏せしたり、小さなプレゼントをしてくれたり... まるで、恋に落ちた少年のようにときめいていました。 そんな義父を見て、私とのことで少しでも植物人間の息子、冷たい妻のことから気持ちを紛らわすことができるなら... そんなふうに思い、優柔不断な態度を取った私が間違っていたのでしょう。 間違っていたのかもしれないけど、可哀そうで仕方なかった。 私に会って、話をすることで心が和むならって... でも、そのうち、家族皆がいるテーブルの下で私の足を突いたり、義父の態度が大胆になっていき、不安になった私はアパートを借りて義理の家族の家を出たの。 でも、その時点ですでに、家族は勘付いていたのかも知れません。

義理の家族にとって、苦しみの限界だったのかも知れないわ。 事故の時点で前夫が即死してしまっていたなら、皆、辛くても心の切り替えがつき、それぞれの人生を進むことができたかも知れない。 でも、彼の体はそこにあって、でも、それは彼ではない。 息子でもなく、兄でもなく、夫でもない。 宙ぶらりん... 皆が宙ぶらりんで、足掻いているような... それは彼が死んでしまっていたよりも、精神的に辛いことだったのかも知れません。 

前夫が植物人間の状態のまま、何も上達することもなく一年半近く過ぎた頃、義理の両親は安楽死を考え始めます。 でも、それは他の誰のためよりも、前夫本人のためでした。 

続きは次の手紙で...


Love、MOM


追伸

人のあやまちを責めるのは容易いこと。 でもね、人はその時に置かれた状況の中で、他にどうしようもない時があるものです。 精一杯で、一生懸命で、それがあやまちとわかっていても、どうしようもない時があるものです。 許してあげてください。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.