回顧録: 息子への手紙 1 | グローバルに波乱万丈

Dear MY SON、

突然なんだけど、貴方に伝えておきたいことがあるんです。

永いこと記憶のずっと奥の方にしまい込んでいたことで、このまま忘れてしまおうと思っていたんだけどね。 あの小さかった貴方が20歳になった今、どんなことをくぐり抜けて貴方と私が今ここにいるのか、知ってほしいと思い始めたの。  


あれからもう20年。 あの事故は、貴方がちょうど四ヶ月になった日でした。 

貴方はいつも私と一緒でした。 手術の待合室、ICの病室、植物人間病棟、葬儀屋... お母さん、いつも貴方を抱っこしていたのよ。 貴方を抱いていないと居たたまれなかった。 アメリカ、日本、ヨーロッパ... 一体、何度二人で飛行機や列車に乗ったのかしら。 貴方は愚図ることなど一切なく、いつも微笑んでいてくれていました。 まるで、私の悲しみを感じているからいい子にしてくれているようで、逆にそれがお母さんには辛かったわ。

毎日泣いていた私の姿を、貴方は覚えてないのかしら? 今、お父さんと弟と家族四人、とっても幸せだもんね。 悲しいことなんて覚えていたくなんかないわよね。 でも、なんとなく、今までずっと貴方は何も覚えていない振りをしてきてくれたような気がするわ。 お母さんが頑張れるように。


少しずつ思い出して、貴方宛に手紙を書くわね。 いつか貴方が知りたいと思う時のために、書き留めておきたいと思います。




まだ日本にいた頃のお母さんは、何に対しても白けていて、投げやりで、大人達からは「世の中の裏も表も知り尽くしたような...」と言われたもの。 相当、可愛らしくない娘だったのでしょうね。 

それでも、街中のマンションで一人暮らしをしていた頃は結構明るくて、友達に囲まれて自由な生活を楽しんでいました。 仕事も好きで、スーツとハイヒールで街をさっそうと歩く自分に酔ったものです。 週日は業界の人達との食事に、週末は踊りに、休みの日には黒のツナギ着て中型バイクでツーリングに。 時々、海外旅行にも行っていました。 そのままずっと、そんな生活を続けたかったの。 結婚なんてしたくなかった。

私はね、「結婚なんかするものじゃない。」と母親から言い聞かされて育ったの。 子供の頃からいろんなものを見て聞かされて、辛かったわ。 だから、「こんな思いを自分の子供にはさせたくない。 結婚なんかしない。」といつも自分に言い聞かせ、ウェディング・ドレスに憧れたことなんか一度もなかったの。 そんな娘だったから、周りからは冷めたように見られていたのでしょうね。

そんな時に、貴方の父親に... 


“父親”だなんて、嫌な感じだわね。 貴方の父親は一人だけ。 お父さんに悪いわよね。 なんて呼んだらいいのかしら? ちょっと変だけど、“私の前夫”ってことにしておきましょうか。


そんな時、私の前夫と出会ったの。 お母さんが22歳の時でした。

ある金曜日の夜、いつものように顔見知りの黒服がたくさんいる“マハラジャ”で、ボディコン着て友達とお立ち台で踊っていたの。 

あ、ごめんなさい。 貴方には何がなんだかわからない言葉ばかりだわね。 顔見知りのスタッフが多かった流行りのディスコで、その頃流行りのタイトなワンピース着て小さなステージの上で踊っていたの。 そう、お母さんこう見えて、昔は結構、洒落た人だったのよ。

そこで、ちょっと変わった雰囲気のハンサムな男の人が近づいて来たの。 私の隣で踊っていた友達の方がよっぽど美人だったしスタイルもよかったから、普通なら彼女の方に男の人達が寄っていくのだけど、その人は台の上の私をずっと見つめて踊っていたわ。 どうしてだろうと思いながらも、私は気づかない顔をしていました。 

台から降りて顔見知りの黒服の人とおしゃべりとしていると、案の定、話しかけてきたわ。 白人の外国人と一緒でした。 その人、アメリカ人で、日本人と白人のハーフだったの。 そう、その人が“私の前夫”。

$モロッコ人、そしていろんな国の人のお話


外国人には興味なかったんだけど、周りの女の子達があまりにも羨ましそうに見ていたし、友達と四人でちょっと遊んでみようかなって、それくらいの気持ちでした。 それが全ての始まり。

続きは次の手紙で...


LOVE、MOM


追伸、

誰がなんて言おうと、お父さんが貴方の本当のお父さんです。 お父さんは貴方のことを心から愛していの。 そのことを忘れないで。 I love you with all my heart, and I will always love you no matter what. You are my son forever and ever.