孫のMちゃんに会うのも、昨年の11月に新潟に来て以来。


またさらに可愛いくなっていた。


Mちゃんは

「なんでそんなに可愛いの?なんでそんな可愛いの?」

って、しつこく聞くばあばに

「わからなーい」と答えてくれた


あっ、森の妖精だ!




滑り台も上手になったんだね。

成長している。

生きているんだね。


シャボン玉を準備するママを見上げる表情がたまらない。



シャボン玉を追いかけてパチン!




今度は自分でやりたいんだって。



やっぱり難しい。

上手にできなくてママと一緒に。



Mちゃんの大好物のイチゴのおやつ



「おいしいですか?」と聞くと

「おいしいです!」って




別れ際に渡した絵本のプレゼントも喜んでくれた。

おうちでママに読んでもらってね。




今ではママになった長女は

あの日、4月から入社する会社の新入社員研修に出ていた。


修学旅行引率で京都にいた私は

東京の長女に何度も電話をするが繋がらず

夜になって漸く無事を確認することができた。


会社が用意してくれた宿泊場所で泊まっていて、帰宅困難者にならなくて済んだと聞いて安心した。



あれから12年

長女の人生は、学生から、社会人、妻、そしてママへと大きく変わった。



でも

BSスペシャルの東日本大震災映像の記録や、民放の特集を観ると

大切な人を失った人たちの悲しみは

この12年間変わらず、癒えてはいなかった。


喪失感と罪悪感に苛まれる日々

罪悪感が忘れることを許さないのだ。

ずっと同じところにいる。

愛しい人を突然失くすとはこういうことだと知る。



現地の放送局の女性が

「東日本大震災のことをみんなが、『3.11』と名づけたけれど、私たち被災者にとっては、今日だけのことじゃないのです。

これからもずっと続くのです」と伝えていた。

この言葉に、はっとさせられた。



無理に悲しみを忘れなくてもいいと思うのです。

無理に頑張らなくてもいいと思うのです。

ただ、やっぱり・・・

生き残ったその命をなんとか生きてほしいです。



生きる        

            谷川俊太郎 


生きているということ


いま生きているということ


それはのどがかわくということ


木漏れ日がまぶしいということ


ふっと或るメロディを思い出すということ


くしゃみをすること


あなたと手をつなぐこと


生きているということ


いま生きているということ


それはミニスカート


それはプラネタリウム


それはヨハン・シュトラウス


それはピカソ


それはアルプス


すべての美しいものに出会うということ


そしてかくされた悪を注意深くこばむこと


生きているということ


いま生きているということ


泣けるということ


笑えるということ


怒れるということ


自由ということ


生きているということ


いま生きているということ


いま遠くで犬が吠えるということ


いま地球が廻っているということ


いまどこかで産声があがるということ


いまどこかで兵士が傷つくということ


いまぶらんこがゆれているということ


いまいまがすぎてゆくこと


生きているということ


いま生きているということ


鳥ははばたくということ


海はとどろくということ


かたつむりははうということ


人は愛するということ


あなたの手のぬくみ


いのちということ