数日後、夜のK高校は静まり返っていた。そこに、北校舎へ向かう人影があった。
 校庭の隅にある駐車場には、高級車が停まっている。
 車の傍をスタイルの良い女が歩いていく。女はスミレだった。
 スミレが校長室の前に立ち、ドアをノックすると野太い声の返事がした。

 校長室に入ると、椅子にドッカと座った大酉が、スミレを見てニヤリとする。
 スミレはソファーに座り足を組んだ。その色気に、大酉は思わず前のめりになる。

「スミレ、今日は何の用事で来たんだ」
「ええ、大酉校長、実はうちの社長の花蜂鬼が、やっと目覚めたの」
「なにぃ? 本当なのか、花蜂鬼が目覚めたというのは……! これは大スクープだな。明日のワイドショーが大騒ぎになるぞ。カズキの件で俺も忙しくなりそうだ」
「フッ、嬉しそうね。来年の大統領選にでも立候補するつもりですか?」
「何が悪いんだ。俺のような上級国民なら、大統領になりたいと考えて当然だろう」
「本気なんだ。強欲な人間ね。校長の地位も既に手中に納めたのに……」
「俺は田舎育ちで、本物の上級国民とは違う。人一倍ハングリーなだけだ」
「よく、来年の事など考えられますね。この大陸は、明日にも海に沈むかもしれないのに……」
「俺が大統領なら、蓮を牢に閉じ込めて、魔力を覚醒するまで出さんがな」
「なんて怖い人なの。……本当は顔も見たくないんだけど……」
「お前だって、政府のスパイじゃないか。……ふん、何でもいいから、早く用件を言え」
「花蜂鬼よ、花蜂鬼はカズキを知らないって言うの。本当にカズキは蓮の姉なの?」
「本当さ。蓮は俺の話を信じてくれたぞ。だから、カズキを林檎屋敷に迎え入れた。当然だよな。彼女は花蜂鬼の娘で、蓮の姉なんだから……」
「それだけじゃないの。花蜂鬼は、自分が花蜂鬼じゃないと言い出して、それでも蓮はカズキを屋敷に迎えるつもりなのよ。心配だわ……」
「何を心配する。離れていた家族が一緒に住むんだ。良い事じゃないか」
「……私はカズキが信用できない。何か企んでいるのかもしれない」
「ふん、カズキは三重苦だぞ。何が出来ると言うんだ。それに魔族の蓮が、何かを企んでいる者を屋敷に迎え入れる筈がない。スミレの思い過ごしじゃないか」
「……はあ、そうね、分かったわ。それじゃあ、これで失礼するわね」
「スミレ、来てくれて嬉しかったよ。また心配事があったら、いつでも来てくれ」
「もう、二度と来ないわよ。さようなら」

 北校舎を出て、スミレが駐車場へ行くと、高級車の傍に田部とツグオが立っていた。
 ツグオも一緒にここに来ていたのだ。髪を切った後、あのキイノとの一件も何のオトガメもなく、もうじきツグオは映画の撮影に入る。
 田部が運転席に、スミレとツグオも乗り込むと、車は街へ向かって走り出した。
 ツグオは何故呼び出されたのか困惑していた、スミレは眉を上げたままだ。
 彼女の香水はとても麗しく、優しくて誰でも好感が持てる。
 ただ、その懐に入っていく隙が全く無く、どこまでも安心できない女性なのだった。

「ツグオ、あなた、あの夜、香央樹が、何を言ったか思い出した?」
「……は、いや」
「まったく、心を開かないのね。本当に厄介な子ね。ツグオは……」
「今夜、俺を寮から連れ出したのは、大酉校長に会わせる為じゃなかったんだ」
「私が、あんたと話をしたかっただけよ。花蜂鬼の事で……」
「花蜂鬼……花社長の事か」
「花社長?」
「研修生は、皆そう呼んでるよ」
「そうなの。でね、花蜂鬼は目覚めたけど、少し変なの。いつもの社長じゃない。それに、ツグオと二人きりで話したいと言うのよ。どうしてだと思う。ツグオ」
「……さっぱり、分からないな」
「実は、信じられない事だけど、花蜂鬼は、自分を香央樹だと言ってるの」
「え……なんで、そうなるんだ?」
「そうでしょう」
「まさか、花蜂鬼が香央樹と入れ替わったとか?」
「花蜂鬼は魔族だもの。そんな不思議もあり得るわね。でも、そうだとして、どうして、香央樹はツグオに会いたがるのかしら。それも二人きりで……」
「俺に分かるわけがない」
「……本当に、厄介な小僧ね、あんたって。いいわ、これから、あんたは事務所のビルに行って花蜂鬼に会ってもらう。でも、部屋にはカメラを設置してるわよ。あんたと、花蜂鬼が何を話すか、観させてもらう。仕方ないのよ。あんたは事実を話さないでしょ。いいわね、ツグオ」
「勝手にすればいい」

 ツグオたちの乗った高級車がビルの地下駐車場に入っていく。
 今まではツグオだけの秘密だった、あの香央樹との幻のような一夜の出来事……。

 まさか花蜂鬼の中の香央樹が現れるとは……それも、ツグオに会いたがっている。

 とうとう知られる時が来たのかと、ツグオは一瞬逃げ出したい気持ちになったが、すぐに、もう覚悟を決めるしかないと思った。