「藩札」の使用も認めよう

各藩のお国事情も配慮され

緩やかな貨幣統合がなされはしましたが

信長にも秀吉にも果たし得なかった全国統一的
な貨幣制度は、

江戸時代の経済発展の基礎となったのです

流通していたのは
小判、一分金、豆板銀そして一文銭と呼ばれた銭貨

江戸、京都、駿府に幕府直轄の貨幣製造所を
設立しました。


<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B007VZFEZS/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&tag=nishinoda-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B007VZFEZS"><img border="0" src="http://ws.assoc -


各地であまりにも多かった銭貨は35年と言う
準備期間を経て「寛永通宝」に統一され

各地での製造が軌道に乗るにつれて

当時整備されはじめた五街道の宿場での支払い
手段として定着し、参勤交代などの制度を
整えてゆく上でも

必要不可欠なものになっていったのです

東国の金遣い、西国の銀遣いと言われて
金貨は江戸全体、銀貨は上方全体で使われており

金貨・銀貨の併用はこうした
東西の商習慣にも配慮したものでした

<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B007VZFEZS/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&tag=nishinoda-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B007VZFEZS"><img border="0" src="http://ws.assoc -

消費増税で永田町も何かといそがしそうだが、
それは置いといて、

関が原の戦いを制し天下統一を
果たした徳川家康は

慶長6年(1601)貨幣制度の制定に着手

各地で製造されていた金銀貨を統一するため
小判、一分金、丁銀など慶長金銀貨を発行した

小額通貨の銭貨については全国で多種類が
流通し混乱状態であったため

35年の準備期間を経て「寛永通宝」を発行

金貨、銀貨、銭(銅)貨の三種の貨幣が併存する
「三貨制度」がここに確立しました


<a href="http://www.amazon.co.jp/gp/product/B007VZFEZS/ref=as_li_tf_il?ie=UTF8&tag=nishinoda-22&linkCode=as2&camp=247&creative=1211&creativeASIN=B007VZFEZS"><img border="0" src="http://ws.assoc -