「凸凹」は記号にも見えるし、漢字にも見えます。

 

平仮名ではなさそうですが、一体どれなのでしょうか???

 

なんとなく記号のような気もしますが、じつは凸も凹もれっきとした漢字です。

 

凸は「トツ・でこ」と読み、「凹」は「オウ・くぼむ」と読み、凹は単体では「ぼこ」という読み方はせず、「凸凹」と二文字揃ったときに限り「でこぼこ」の読み方になります。

 

なお、凸も凹も五画で書き順が決まっていますが、正式な書き順で書けない人が多いのではないでしょうか。

 

「々」という漢字の正式名称は「同の字点」といいますが、これは「同」の異体字である「仝」が元になっているからです。

 

ワープロ専用機では、「のま」と打つと「々」の漢字が出ましたびっくり

 

「々」の漢字を分解すると「ノ」と「マ」になるので「のま」です。

 

ウソのような本当の話です。

 

最近のパソコンでは「のま」と打ち込んでも「々」と出ないものもあります。

 

「時々」などは「ときどき」と打てば出てきますが、「々」単体で出したい場合にはどうするかというと、「おなじ」と打てば「々」が出力されます。

 

「どう」と打っても「々」が出てきます。

 

また、「おなじ」と打つと「々」だけでなく「〃」や「ヾ」「ゝ」も出てきますOK

刑罰には刑の重い順に、死刑、懲役、禁錮、罰金、拘留、科料の主刑と、附加刑である没収があります。

 

懲役は、受刑者が刑務所に入れられ自由を奪われる自由刑とともに定役という所定の作業労働が科せられます。

 

自由刑が科せられるのは、禁錮や拘留も同様です。

 

懲役には大きく無期と有期があり、無期は終身ですが仮釈放することは可能となっていて、有期は1か月以上15年以下で軽減により1か月以内となったり加重され20年以上となったりする場合があります。

 

また、3年以下の懲役または禁錮の場合には、情状により執行猶予が認められるケースもあります。

 

懲役の作業は、衣類や靴、家具などの製作や、刑務所内の炊事や洗濯といったものがあります。

 

禁錮は懲役と同じように有期・無期に分かれ期間や拘置も懲役と変わりませんが、拘置されるだけで定役という刑務作業は科せられません。

 

しかし、禁錮受刑者のほとんどは退屈なためか作業を請願して就労しているといわれ、そのため懲役と禁錮を区別する考え方に疑問の声があがっているそうです。

 

拘留は禁錮と同じで刑務作業は科せられず拘置されるだけですが、拘置される期間が懲役や禁錮と異なり、1日以上30日未満(最長29日)です。

京福電鉄の嵐山本線は京都で唯一の路面電車で京都府京都市の四条大宮駅から嵐山駅までを結び、途中の帷子ノ辻から北野白梅町を結ぶのが北野線です電車

 

嵐山本線と北野線を併せて嵐電という愛称で呼ばれます

 

地元住民の足としてはもちろん、この沿線には名所が多く存在していて観光客にも人気ですルンルン

 

そして嵐電の駅名は、京都の長い歴史に由来するものが多いです。

 

四条大宮の隣の「西院」は、平安時代に淳和天皇が建てた離宮が御所から西の方角にあったことから西院と呼ばれ、それが地名となって駅名にもなりました。

 

「山ノ内」は、比叡山延暦寺の飛び地があり比叡山の山内ということに由来します。

 

「蚕ノ社」は近所の木島神社にある秦氏の養蚕神社にちなんだ駅名で、「太秦広隆寺」は渡来技術者集団だった秦氏の本拠地だったことから太秦という地名が残っていて、広隆寺は秦氏の氏寺です。

 

「帷子ノ辻」は、嵯峨天皇の后の葬列から棺にかけてあった帷子が舞い落ちたことに由来し、「有栖川」は近くを流れる有栖川の名前からとった駅名です。

 

また、後嵯峨天皇の御幸の際に車軸が神社の前で折れたことからつけられた「車折神社」、足利義満が建立した寺の名前を冠するのが「鹿王院」です。

秦氏は、5世紀中頃に朝鮮半島南部の新羅方面から日本にやって来た渡来系氏族です。

 

5世紀ごろから朝廷によって朝鮮半島や中国から招かれた技術者たちは、養蚕や機織(はたおり)、銅鉄鋳造などの産業技術や日本文化に多大な功績を残しました。

 

この技術者たちが渡来人で、秦氏や東漢氏など有力な渡来系氏族が存在しました。

 

秦氏は、京都の太秦(うずまさ)を本拠地として栄えていました。

 

太秦は映画やドラマなどが制作される映画撮影所として有名ですね映画

 

太秦にある広隆寺は日本の国宝である弥勒菩薩半跏像を蔵していることで有名ですが、この広隆寺を建立したのは秦氏の秦河勝だそうです。

 

秦河勝は、後の聖徳太子である厩戸皇子(うまやどのみこ)の護衛隊長をつとめていて、厩戸皇子の厚い信頼を得ていました。

 

秦氏はその後も地方豪族として勢力を拡大していき、秦氏の居住地だった地域には秦、羽田、幡多、波多などといった秦の姓にちなんだ地名が残っています。

 

太秦もそうですね音符音符

 

また、伏見稲荷を信仰していた秦氏は居住地に稲荷社をつくりましたきつね

 

お稲荷さんの起源は秦氏すなわち渡来人にあったのです。

 

各地にある稲荷社は秦氏とゆかりが深く、稲荷社の総本社・伏見稲荷大社(京都)も秦氏が創建したといわれています。

親知らずは、口の一番奥のほうに18~20歳くらいに生えてくる歯です歯

 

通常は15歳前後で永久歯が生え揃いますが、親知らずは10代後半から20代前半に生えるので、親に知られず生えてくる歯ということでその名がつけられたと言われます。

 

まっすぐに生えてこないケースが多く、歯並びの乱れや顎関節症につながるため抜いてしまう人が多いようです。

 

抜いたあとの親知らずは捨てるしかありませんでしたが、抜いた親知らずは健康で立派な歯だったりすることもあります。

 

そこで今では、親知らずをドナー歯として再利用することができるようになりました可愛い歯♪オンナノコ♪

 

抜いた親知らずを冷凍保存しておいて将来自分に移植するという方法で、歯の銀行(ティーズバンク)と呼ばれる治療法です。

 

一般の歯科医ではなく、専門の業者に依頼して歯を保存します。

 

歯の移植治療は、治療の範囲を歯が抜けたところだけに限定でき、両側の歯を削ったり金具で歯茎を覆う必要もありません。

 

また、自分の歯を移植するので拒絶反応もないといえますし、傷口が大きいわりには痛みもほとんどないようです。

 

しかもインプラントに比べて費用が格段に安くすむそうです。

 

不要な親知らずですが、ドナー歯としてとても役に立つのです歯

 

普通車のスピードメーターで表示される最高速度は、180キロが多いです。

 

道路交通法で認められている最高速度は高速道路でも100キロなのに、

 

なぜ180キロまでスピードが表示できるようになっているのでしょうか?

 

これは、日本の自動車メーカー14社によって決められた自主規制だそうです。

 

つまり、180キロまで出せるようにしているのです。

 

なぜ180なのかという謎については、いくつかの説が唱えられています。

 

まず、どんな状況でも確実に100キロを出せるようにするためというものです。

 

上り坂や、重い荷物を載せる場合、最高速度の100キロで走るには、平坦な道路で180キロくらいを出せるパワーがなければなりません。

 

一方、海外への輸出を考えた結果とする説もあります。

 

車の法定速度(高速道路)は国ごとに異なり、アメリカは128キロなどとなっています(州によって違います)。

 

ヨーロッパでは120~130キロの国が多く、ドイツのアウトバーンに至ってはなんと無制限です!

 

そうした国では、100キロまでしか出ない車では買ってもらえません。

 

だから、日本の自動車メーカーは欧米の車に対抗できるだけの性能を持たせたといいます。

 

日本国内をふつうに走るには180キロも出すことはない(はず)ですが、さまざまな状況を考え、180キロに統一しているのですくるまr

 

 

https://jiko-ask.com/search/pid:26

 

ストローでジュースを飲むとき、〝吸い上げている〟と思っていませんか。

 

実は、正確に言うと、人間の吸う力で吸い上げているのではありません。

 

人間が吸うのは、ストローの中に入っている空気だけなんですトマトジューストマトジューストマトジュース

 

そして、ストローが真空状態になることで、ジュースが勝手に〝上がっていく〟と言う仕組みです。

 

コップの中では、ジュースの表面は常に空気に押された状態になっています。

 

ジュースのみならず、地球上のすべてのものが、空気の重さである「気圧」の影響を受けています。

 

この空気は、気圧1ヘクトパスカルで1センチ動かすことができるらしいなっちゃん

 

ストローの中にも空気があれば、コップの中でジュースが空気に押されても、両方の気圧が均衡を保っているのでジュースが動くことはありませんね。

 

ですが、ストローの中の空気がなくなってしまうと、その均衡が破られてしまうことになり、コップ内のジュースがストローの中を上がってくるのです。

 

地表近くの気圧は1気圧1013ヘクトパスカルで、ジュースを動かせる長さは10.13メートルです。

 

ということは、10.13メートル以下のストローでならジュースを飲むことができるということですね。

 

ただ、これは机上の空論ですジュースジュースジュースジュース

 

ふるくから親しまれてきた童謡「ペチカ」をご存じでしょうかはてなマーク

 

ペチカとは、ロシア語で暖炉のことをいいます。

 

「雪のふる夜はたのしいペチカ ペチカ燃えろよ お話しましょ音譜」という歌詞のとおり、冬の夜に、パチパチと燃える暖炉をかこみ、団らんを楽しむロシア家庭の情景が思い浮かぶような歌です。

 

この歌はロシア民謡などに日本の歌詞をつけたものだろうと思う人も多いでしょうが、「ペチカ」は作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰の名コンビが手がけた生粋の国産唱歌ですビックリマーク

 

白秋がつけた歌詞は、満州を旅したさい、目にした光景をうたったものといわれています。

 

歌の舞台が満州というのも意外に思えますが、そもそも「ペチカ」は、南満州教育委員会に依頼されて作った曲なのです。

 

当時の満州で、日本人児童のために、満州色たっぷりの唱歌教材を独自に作ることになりました。

 

1924年から1927年にかけては、「満州唱歌集」が発行され、「ペチカ」は、その唱歌集に収録されたなかの一曲なのです。

 

「満州唱歌集」に曲を提供したのは、作詞家では白秋のほか、野口雨情や島木赤彦らです。

 

作曲家では山田耕筰のほか、弘田龍太郎、梁田貞など、そうそうたる顔ぶれが名を連ねていますドキドキ

 

輸入食品の店に並んでいるビン入りのマヨネーズ。

 

そうした外国製のマヨネーズは、食べてみればたしかにマヨネーズなのですが、見た目は妙に白っぽく、日本の黄色いマヨネーズとは違う色をしていますマヨネーズ

 

その色の違いは、原材料の違いによるものです。

 

マヨネーズは、卵に植物油と酢を加えて攪拌し、塩やこしょうで味付けしたものです。

 

作り方はどの国も変わりませんが、日本のマヨネーズは、卵黄のみを使うのが主流なのに対し、海外では卵の白身も使っていることが多いです。

 

だから、日本のマヨネーズは黄色っぽく、外国製は白っぽくなるのです。

 

海外のマヨネーズが白身を使う理由は、使い方の違いに関係しています。

 

日本では、マヨネーズは、野菜サラダにかけたり、ディップとしてつけたりして使います。

 

いっぽう海外では、マヨネーズをケチャップやマスタードと混ぜて使うことを前提としていますので、日本のように濃厚な味である必要はありませんまよ

 

だから、淡白な白身も使うのです。

 

マヨネーズは海外生まれの調味料ですが、いまでは日本式のマヨネーズは海外でも高い人気を得ています。

 

酸味がしっかりしていて、うま味も強い日本のマヨネーズは、今後、世界の主流になるかもしれませんねハート

 

貧しい家に生をうけながらも、信長の足軽となりついには天下人になった豊臣秀吉

 

身分が低い時代にたてた手柄も数多く、それらは今に伝えられています。

 

その中でも有名なのが、「墨俣の一夜城」でしょう。

 

美濃進出の拠点として墨俣に城を築くことを考えた信長ですが、美濃の斉藤軍の攻撃を受け、なかなか築くことができませんでした。

 

諦めきれない信長は、「墨俣に砦を築いたものに砦を任せる」、つまり、城をたてることができたら城主にしてやるというのです。

 

そこに名乗りを上げたのが豊臣秀吉でしたよっ

 

土豪を集め、斉藤軍の攻撃をかわしながら、とうとう城を築き、出世の足がかりになりました城

 

秀吉がこの城を1ヶ月という短期間で完成させたということで、「一夜城」といわれているんだそうです。

 

「墨俣の一夜城」の話は、「絵本太閤記」という物語に記されているんだそうです。

 

ところが、公的な記録としては墨俣城のことは書かれていないんだそうです。

 

「甫庵太閤記」には、信長が美濃のどこかに城を築き、秀吉を城主にしたという記述があるものの、墨俣であるとは記されていない。

 

つまり、この話は秀吉の「太閤伝説」の一つに過ぎない、ということなんですね。