くまTのブログ

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韓流ドラマの感想など。基本ネタバレです。ドラマ未見の人は、絶対読まないでください。
#マイディアミスター
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「名画の『本歌取り』」
 本歌取(ほんかどり)とは、歌学における和歌の作成技法の1つで、有名な古歌(本歌)の1句もしくは2句を自作に取り入れて作歌を行う方法。主に本歌を背景として用いることで奥行きを与えて表現効果の重層化を図る際に用いた。( Wikipediaより)
玉の緒よ絶えなば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする  式子内親王
本歌 たえはてばたえはてぬべし玉のをにきみならんとは思ひかけきや  和泉式部

名画のパロディではもちろんない。単純なオマージュでもない。「本歌取り」のような表現方法をおそらく映画フリークだと思われる(そうじゃない監督や脚本家がいるのかしらん)監督キム・ウォンソクと脚本家パク・ヘヨンが敢えてしていると私は思っている。先行する名画を見ていなくても、マイディアミスターの世界は深く、広い。けれども、名画のイメージが更に豊かにさせてくれている。あなたのただの思い込みと言われたら、返答につまるけれど、名作「マイディアミスターはこのようにも楽しめるという話と思って、読んでもらえるとありがたい。

腕は立つが女性には不器用な男Aは大切なものを権力を握った男Bに奪われる。男Bと敵対する男Cとは出会った当初殴り合いをするような険悪な関係だった。男Cには昔の恋人と今の情婦がいる。男Aは男Cをはるばる追ってきた昔の恋人にたまたま出会い思いを寄せるようになる。男Cは酒場の女主人でもある情婦に連れなくする。男Aとその兄弟たちは街の住民たちと仲がいい。男Aは大切なものをとりかえすために、兄弟、町の人の助けを借りる。男Aと男Bとの最後の決闘の時、男Cが男Aの味方をしたことにより、男Aは勝利する。男Cは命を落とす。男Aは男Cの昔の恋人と握手をして、その名前を「いい名前だ」とほめ、再会を約束して別れる。

ジョン・フォード監督の名作「いとしのクレメンタイン」(邦題「荒野の決闘」)のプロットを私なりにまとめてみた。男Aはワイアット・アープ(演ヘンリー・フォンダ)だが、パク・ドンフンと共通するように思う。牛(アープ)と妻(ドンフン)を「大切なもの」として、同一化してしまうのはちょっと気が引けるけれど。
男C(ドク・ホリディ)のロールは、「マイディアミスター」ではサムウォンとグァンイルに分離していると考えれば、「情婦」はジョンヒに比定され得るし、東部から追ってきた「昔の恋人」=クレメンタインは、ジアンに比定できるのではないだろうか。もちろん、マイディアミスターでは、グァンイルの方がジアンに恋して執拗に「追う」のもグァンイルの方ではある。しかし、「優しかった記憶に苦しめられる」ジアンもまたグァンイルに全く思いが思いがなかった訳ではないだろう。
アープがクレメンタインと別れる時、現在一般に知られる劇場公開版では、アープがクレメンタインの頬に情熱的なキスをするが、本来のいわゆるディレクターズカット版では、武骨なアープらしく、おずおずと握手をするのみだったらしい。ちなみに公開当時、別の監督によってキスシーンなどの撮影を追加され、町の人との交流シーンが大幅にカットされた一般的な公開版とディレクターズカット版のフィルムが入り混じっていたらしく、上映館ごとに違ったものが上映されるという事態が起こったそうだ。
名前をほめるタイミングは大きくことなるし、そもそもドンフンのジアンへの思いの在り方が、アープのクレメンタインに対する思いと違うといわれそうだが、マイディアミスターの1話、2話あたりの音楽も西部劇映画のような雰囲気があるし、ドンフンの立ち姿もヘンリー・フォンダ演じるワイアット・アープのそれによく似ている。ジョンヒの店も疲れた男たちが集まる西部のサロンのイメージがある。
1990年代、大学の映画コースの教材として使われたことをきっかけに、ディレクターズカット版が偶然発見されてニュースになっている。世代的に脚本パク・ヘヨンと監督キム・ウォンソクが映画の世界を志したころではないだろうか。この名作映画のことをどちらかがあるいは双方ともが念頭に置いていたような気がする。「いとしのクレメンタイン」がマイディアミスターの世界を更に奥深くしてくれると私は思う。

「E.T」
「いとしのクレメンタイン」とは違い、多くの人が言及するのは「E.T]だ。「祖母」をスーパーのカートに乗せて連れ出すシーンは「E.Tみたいだ」と多くの人がいう。ギボム やドンフンが気が付いて驚き、笑いを誘うコミカルなシーンだが、ただ単にビジュアルの共通点だけではないように思う。「言語は話せないが理解はでき、守らなければならない弱い存在だが、人(子ども)の生き方に影響を与える叡智を持つ」存在であるE.Tのイメージは「祖母」のキャラクターを更に強化しているように私は思う。特に月を見に行くシーンは、やがて月の世界ー宇宙に帰っていくE.Tのイメージが祖母にかぶせられているように見える。マイディアミスターのスーパーのカートに乗せられた祖母とジアンが大きな月を眺めるシーンは E.Tの有名な大きな月をバックに自転車に乗った少年と買い物籠に乗せられたE.Tのシルエットが映るシーンのイメージが重なるように演出されている。

「ブリジット・ジョーンズの日記」
劇中はっきり先行する名画名がセリフにあることもある。事情を知らないジョンヒがドンフンのことを「ブリジット・ジョーンズの日記」に出てくるマーク・ダーシーに似ているという。ジョンヒは何がどこが似ていると具体的には言わない。ビジュアルだろうか、融通が利かない、真面目過ぎるほど真面目、仕事はできるが自分を飾ることは苦手、誠実で正義感が強いという性格だろうか。「ブリジット・ジョーンズの日記」を観たことのある観客はどきりとする。マーク・ダーシーは「親友に婚約者を寝取られた男」でもあるからだ。主人公ブリジット・ジョーンズの上司でマーク・ダーシーの恋人を寝取った男のクズっぷりやマーク・ダーシーがついにその上司を殴り倒すシーンも、マイ・ディア・ミスターのその後の展開により深みを与えているように思う。

「誰も知らない」
不機嫌なドンフンに気を遣って、ギフンが「あの子から連絡あるか」と聞く。イライラと「あるわけない」と答えるドンフンに、今までのギフンなら「兄さんにあれだけ世話になっていながら、なんだ」とキレそうなものだが、意外なことに落ち着いて是枝監督作品の「誰も知らない」について語る。「子どもには自己治癒力があるから、大丈夫だよ」と。映画を見ていればこのセリフの説得力は増すだろう。

「ローマの休日」
「ローマの休日」は観客にまだ続きがあるのでは強く思わせる余韻が残る名作だと私は思う。「ローマの休日」でも、アン王女が握手の手をなかなか離さず、ジョーが戸惑う表情を見せるが、ドンフンもまたなかなか手を放そうとしないジアンに戸惑いを見せる。お互い背中を向けて去るシーンのドンフンの表情に大聖堂のなかでアン王女(演オードリー・ヘップバーン)と別れてからの記者ジョー・ブラドリー(演グレゴリー・ペック)の「これでよかった」と自分に言い聞かせるような表情が私には重なって見える。これも私の思い込みだろうか。

本歌になった「マイディアミスター」
是枝監督作品の「ベイビーブローカー」の主人公ムン・ソヨン(演IU)は、パク・ドンフンに出会えなかったイ・ジアンのイメージに違いない。ムン・ソヨンは、代わりにハ・サンヒョン(演ソン・ガンホ)たちに出会い、人生をとり戻していくのではあるけれど、ムン・ソヨンのやさぐれ感はマイディアミスターのイ・ジアンのイメージに違いない。