先日、所用で新宿へ行きました。
久しぶりに、新宿の街を歩いてみて建物の巨大さに少々眩暈を覚えました💦
昼食も終え、腹ごなしに渋谷まで歩こうかと…。
「新宿から渋谷まで歩くの??」なんて驚かれる方もいらっしゃるかもしれませんが、街並みを見ながら歩いて子1時間くらいでついてしまうんです。
たまには都会の散策もいいのでは?とGoogleマップを見ながら出発!
何となく明治神宮の中を歩いて渋谷に行きたかったので、明治神宮の西参道鳥居を目的地に決めました。
その日は、晴れていたのにだんだん曇り空になってきて北風が冷たい日でした。
でも、やっぱり歩いているとだんだん体が暖まってきて、寒さも気にならなくなってきていました。
何度となくGoogleマップを確認しながら歩いていくと、確かに明治神宮に目的を定めていたのにとある所で案内が終了してしまいました。
「ん?まだ明治神宮らしい糺の森なんか全然ないのに、どうした?」と思いながら右手を見ると住宅街に突如として神社が登場しました。
しかも鳥居から社殿までが秒で行けてしまう神社。
こちらは、東京都渋谷区代々木に鎮座されます「平田神社」です。
御祭神は、国学の四大人の一人として知られる平田篤胤大人命です。
御神徳は1.文化(学問、芸術、道徳、宗教 2.健康(医薬) 3.豊かな生活(財運)4.世直し だそうです。
元は、明治初年に今の墨田区に位置する平田邸の邸内社として創建されたそうですが、明治14年に明治天皇の御下賜金をもとに文京区に遷座。そして今の地には昭和34年に遷座したとのことです。
御朱印は2種類。通常の御朱印と、神代文字で(かむながら)と書かれたものです。
なかなかこのような御朱印は授かったことがないのでびっくりです。
もう一つは御神紋です。神紋図鑑を見ても該当がなかったので今後も探してたいと思います。(実は神紋・地紋マニアでして)
私はこの平田神社に出会うまで、平田篤胤という人物は知っていましたが、この神社の存在を知りませんでした。
少しだけ平田篤胤という人を紐解いてみようかと思います。
平田篤胤は今の秋田県秋田市の出身で、二十歳の時になったばかりの正月八日に国を出奔したそうです。
昔の言い伝えで、「正月八日に家を出るものは、再び故郷には戻らない」と言われていたそうで、篤胤は相当な覚悟で国許を出奔、つまり姿を消したんですね。
それからの篤胤は、下働きや色々な苦労をしながらこの時代の新しい学問を貪るように学んだんですね。
25歳の時に才覚が認められ、備中松山藩士で山鹿流兵学者であった平田藤兵衛篤穏の養子になりました。
平田篤胤は、最初の最愛の奥様を早くに亡くされました。妻の死によって冥界研究に没頭していき『霊能御柱』を書き上げます。その内容を見てみると、今でこそYouTubeなどで語られることがある内容ですが、当時の人々が読んだら刺激が強すぎて拒否反応が出たのも無理はありませんね。
興味のある方はぜひ読んでみください。
篤胤は晩年、江戸幕府の暦制を批判したなどで著述差し止めと国幹への帰還を命じられます。つまりは江戸追放。二度と国に帰らないと覚悟して出たのにその心中如何許りか…。
篤胤の墓所は秋田大学の裏手の山に、ひっそりと建っています。篤胤のお墓の後ろには二人の妻の石碑がありました。
(ちなみに、後妻に迎えた奥さんは自分の名を先妻と同じ名前『織瀬』と名乗ったそうです。)
この墓所は実際に行ったのではなく、少し前にYouTubeの「もぎせかチャンネル」様で観て印象が強かったので覚えていました。
だいぶ説明が長くなってしまいましたが、平田篤胤と言う人は色々な学問を寝る間も惜しんで学び、極め、それを広めるには時代が早すぎたんだなぁと感じました。
夢の中で本居宣長に弟子入りしたり、天狗の世界に行っていた寅吉少年を養子に迎え熱心に冥界について研究したりと私達の想像を遥かに超えたパイオニアだったのかもしれません。
ぜひ渋谷散策のコースの一つに加えて、平田篤胤大人命に会いに行ってみてください。
こちらのチャンネルは、世界史を教えてくれる先生ですが、日本の史跡にも
積極的に足を運んでいます。
一つの側面から見る事も大事だと思っています。
こちらの動画はとても参考になりますよ




