先日夏越しの大祓について書いたときに、ふと「この茅の輪の始まりってなんだろう?」と思いました。

 

 

 

 

 

夏になると神社に設置されるし、ご利益ありそうだし、なんてくぐっていましたが、よく考えてみると、何も知らないでやっている事がなんと多い事でしょう。

 

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、読んでいって下さいね。

 

今は大きな茅の輪をくぐりますが、これは江戸初期から始まったそうで、それまでは小さな茅の輪を腰につけていました。

 

 

それは、各地の風土期にある「蘇民将来伝説」に由来します。

 

『ある時、武塔神(むとうのかみ:牛頭天王・素戔嗚尊とも言われます)が、お嫁さんをもらう為に旅に出ます。

旅の途中、もう日も暮れてきたので、どこかに泊めてもらおうとある1軒の家を訪ねます。

 

そこは、この辺り一番の長者・巨旦将来の家出した。「悪いが一晩止めてもらえませんか?」

と尋ねると、巨旦将来は、武塔神の身なりをしげしげと眺めて言います。

「悪いがうちは貧しいから人など泊められないよ」と嘘を言って断ってしまいます。

困った武塔神に「もしよかったら、我が家へ来ませんか?貧しくてあまりおもてなしも出来ませんが、

歓迎しますよ」こう声を掛けたのは巨旦将来の兄、蘇民将来でした。

 

こうして手厚くもてなされた武塔神は、次の日出発する前に泊めて貰ったお礼にと、宝物の玉を蘇民将来に渡します。

「この玉は、心のやさしい人が持つと、お金がたまるんだ」

そう言って、武塔神はお嫁さん探しの旅を続けました。

 

そうして8年が過ぎ、武塔神はお嫁さんをもらい8人の王子に恵まれ、そろそろ自分の国に帰ろうと旅に出ます。

 

旅の途中、ふと蘇民将来の事を思い出し、再び蘇民将来の家に泊まります。蘇民将来は心のやさしい長者になっていました。

しかしそれを羨ましく思う人物。そう巨旦将来です。なんとか自分の家にも泊まってもらおとしましたが、

意地の悪さは変わっておらず、結局武塔神に泊まってもらえませんでした。

 

武塔神は蘇民将来に言います。

「あの時のお礼がしたい。あなたの子供に茅で作った輪を腰につけさせなさい。そうすれば良いことが起こる」

付け加えて武塔神は尋ねます。「巨旦将来の所に、あなたの子供はいるか?」

すると蘇民将来は「一人嫁いでいます」と答えます。

「では、その娘にも同じものを腰につけさせるように」と言い去っていきます。

 

するとその年疫病が流行り、なんと蘇民将来の子供以外は死んでしまいました。

疫病が去ると、生き残った子供達の前に武塔神が現れてこう言います。

「私の本当の名は、素戔嗚尊である。今後再び疫病が流行したら、私は蘇民将来の子孫であると言って、

腰に茅の輪を付けていれば、病から生き残るであろう」

 

そして蘇民将来の子孫たちは代々、あの時武塔神が言われたように、「蘇民将来」と書いた茅の輪を身に付けて幸せに暮らしました。』

 

 

元来疫病から身を守る為のお守りだったんですね。現在では、色々な形のお守りや、しめ縄などがあります。

 

 

 

見ていても、なかなか興味深いです。神道や仏教、陰陽道など境界なく蘇民将来の信仰が受け継がれて

言っている証なのだと感じます。

 

目に見えるものもそうですが、目に見えない災いほどどうやって身を守れば良いのかわからない時があります。

健康第一!そしてご先祖様に感謝!と言う事でしょうか。

 

今年は、私も蘇民将来のお守りを受けに参拝にあがろうかと思います。