いよいよ東京・春・音楽祭も今回の《エレクトラ》と 最終日の《アイーダ》で終了です。

一昨日 GPでお聴きしたばかりのルネ・パーぺさんが歌われるので、なんだか身内意識のようなものが強くなってきたようにも思います。

お昼に《マタイ受難曲》の持ち物準備を整えて、昨日は急に降り出した雨の中、上野まで出かけました。

桜が咲く前の、固い蕾の時期から通い出した上野でしたが、見事に葉桜の季節になりました。

 

この《エレクトラ》という演目を最初に見聴きしましたのは、MET.のライブビューイングで、ニーナ・シュテンメさんのものだったと思います。

何しろ初めてだったのですが、中庭にような空間で、噛み付くように歌ったり踊ったりというもので、びっくりすると同時に、ずっと動きっぱなしのような場面に釘付けとなりました。

その演出とこの方の歌、演技がかなり記憶に残っております。

私にしては珍しいことで、かなり前の映像が記憶に残っているというのは、よほど興味深いと感じたのだと思います。

 

歌の方は、ミューザ川崎でやはり演奏会形式で聴いた《エレクトラ》のクリスティーン・ガーキーさんの歌声でしょうが圧倒的に強烈に残っております。

 

今回のタイトルロールはエレーナ・パンクラトヴァさんがお歌いになりました。

この方は、先日のワーグナーの《ニーベルングの指環》ガラコンサートで、ジークリンデ、とブリュンヒルデを歌われた時にお聴きしました。

 

やはりこの《エレクトラ》は、このタイトルロールの方の力量がかなり大きいし、その演奏が全体の評価を決めてしまう演目だと感じます。

その比重がかなり大きいのだと思います。

 

この時間の間ずっと、喋るように歌う、踊る、という忙しい役柄でもあります。

最初の幕で、あのブリュンヒルデの時のような余裕がないように感じたのは、最後まで歌い切ることを考えて力を温存していたからなのでしょうか。

ガラコンサートの時は、その場面だけを歌う形でしたから、割合その場面に全力を注ぐことができたからでしょうか。

必死さは伝わってくるのですが。

最初の声を聴いた時、ちょっとガラコンサートの時と違うな?と感じたのです。

 

やはり私も、ガーキーさんのエレクトラのイメージが残っておりますので、どうしてもその

イメージと比べてしまうのです。

今までのイメージを大きく変えたように思うのはクリソテミスでしょうか。アリソン・オークスという方でしたが、今まではどちらかというと、この妹役は、少しエレクトラより高めの声の色の方で、少し線の細いイメージがあったのです。もちろんこの《エレクトラ》というものが持っている雰囲気はどの役柄もおどろおどろしいものが底に流れていると思うのですが……

この方は、ある場面ではエレクトラを超えてしまうようなとんでもない声が飛んでくるのです。

私の座席は、またまた4Lの座席で、今回は一番前の列でしたが、あの大編成のオーケストラを超えて悠々こちらに届いてくるのです。

それに、残念なことに後半にしか歌わないオレスト役のパーぺさんでしょうか。

演奏会形式ではありますが、上手から楽譜を持って登場された時は、まるでマルケ王のようでした。その楽譜も小道具の1つのように感じさせてしまうのですから………

そして第一声がこの大きさのホールをしっかり満たしてしまうのですから。

やはり、リートコンサートの時よりも、この方はやはりオペラでその価値がしっかりと認識される方のように感じました。

この圧倒的な存在感はなんなのでしょう………

 

身内感覚が芽生えているからかな?とも感じたのですが、あのお客様のカーテンコールの時の反応からいっても、この方の存在感は圧倒的だとお客様に感じさせたのだと思います。

 

今日、そのお声をステージ上で間近でお聴ききできるのが本当に楽しみなのです。