昨日、このオペラにいろいろ考えた末、行くのだということを書きました。

ブログを拝見すると、他にも見にいらっしゃる方が結構いらっしゃるようなのであまりいろいろと書くと申し訳ないし、ちょっと考えたことは確かです。

あのカテリーナ・ワーグナーのような私にとってめちゃクチャに思えた解釈ではありませんし、、この大変なコロナの影響の元、ここまで演奏してくださるのですから、まず関係各位にお礼申し上げねばならないようにも思うのですが……

 

もちろん、私のような素人が文章にできることは、感じたこと、その印象ということだけです。その感覚にはもちろん好き嫌いがあるものですからなんともいえないのですが…

 

この今までにない緊急事態宣言が出た後、初めて新国立劇場に参りました。

およそ半年ぶりでしょうか。

もちろん、入場前には自分の席番号と、連絡先を記入し、検温の機械の前を通過して手、指の消毒、自分でチケットを切って箱に入れてやっと中へ。

という一連の手続きを経て、会場へ入ります。

ホワイエも、机を囲む形の椅子はなく一定方向に向かって、一つ一つの感覚をとって並べられた椅子のみ。ちょうど病院の待合室のように。

固定された椅子は、座ってはいけない椅子の部分の表示があり、飲食物の提供はありません。

 

ホールは、もちろん隣あった座席には人が座れない席があり前後左右、人がいないという形です。

ピット前の前3列は使用していません。

白いカバーというか表示があり、上から見ると一階の平土間がそう言った形になっていることがよくわかります。

今回はオーケストラピットがあり、ピット内が密にならないように、楽器の数を調整しているようには思いました。

 

 

今回初めて、フェイスシールドをつけるわけでもなく普通に演奏されました。ステージで大きさが広いからかなぁと思いました。

歌う方、指揮者、合唱の方もみんな前回のオペラではフェイスシールドをつけていましたが,今回は舞台上に衝立のような道具も出てこず、変わった演出ではありましたがまあ、今までの状況の演出でもありえるだろうなと思われるものでした。

 

まあ演出上、ここは普通抱き合うだろうなという箇所がいくつもあるのですが、前を向いて、せい一杯手を相手の方へ伸ばし、指が触れそうだという場所で止められ、最後に一回だけレオノーレとフロレスタンが抱き合うという形でした。

まあこれも仕方がないと思います。ギリギリのラインだと思います。

一度も抱き合うことなく終わるのかと思っていましたが……。

 

実は今回私の中での違和感は、映像が駆使されたこの演出でした。

最初舞台に浮かび上がった文字

 

ARBEIT  MACHT FREI

 

その形からしても、アウシュビッツ収容所のゲイトに掲げられていたものだと思いました。指揮者が登場して始める前に、ナチスドイツの将校の格好をした方が靴音を立ててステージを行き来するという形で始まるのです。

長い序曲の間、様々な場面がステージ上で行われるのですが、そのステージの上に圧倒的な記録映像。

ナチスドイツが行ったユダヤ人への迫害行為がオーバーラップされるのです。

ドン・ピッツァロが来ていた制服のような衣装も明らかにドイツ軍将校の制服のイメージでした。フロレスタンをはじめ、囚人の衣装がオーム信者の洋服に似たものであったのも少し気になりました。

 

実は今回強く思ったのは、ベートーベンの曲をそのまま受け取りたいという思いでした。

、時々音楽だけ耳に入ってくるときは、ベートーベンの音楽で、音楽そのものの感じを受け取っているのですが、最初のうちは目で見るものに影響されてしまって音楽そのものが持つものが、伝わってこないのです。

目で見るものが、その音楽の理解?の妨げになっているように思えてしまうのです。

耳には入ってくるのですが、なぜか味わえないのです。

 

何かずっとそんな違和感を感じて見ていたように思うのです。

 

今回一番、印象に残ったのは、最後に合唱の面々が全てを取り払ったステージの上に並び、ステージのバックヤードまで全部見せ、私の側からは舞台下手の袖も全部見せてしまうという演出でした。

奥行きの広い普段の倍以上見えるステージの広さにベートーベンの音楽が広がっている光景でしたでしょうか。

 

反対にいえば、前半の映像部分がごちゃごちゃとあるから、最後のスッキリしたステージの印象が濃くなるのかもしれませんが。

 

しかし、私の感覚とすれば大植英次さんの音楽をもうちょっと素直に聴きたかったという思いが強かったでしょうか……

 

映像の説明解釈なしに……………