日曜日は本当に色々な出来事があったのですが、夜にインターネットラジオというのでしょうか、大先生の歌を夜中の12時まで聴いていたので、すっかり気持ちがそちらに持っていかれてしまいました。

でも時間をおいて考えてみるといろいろなことのそのものの本質とか、意味のようなものが浮かび上がってくるから不思議です。

心の中で反芻しながら考えているのだと思います。

昨年は、都合が悪くて参加できませんでした。

日曜日の昼の音楽パーティーは、今回のコルンゴルドの曲を小規模ですが、お客様に公にする初めての機会だったと言えると思います。

ピアノ、フルート、ヴァイオリン、歌とかなりお上手な方から、あまり演奏の機会がないという方まで、歌もシャンソンの方もいらっしゃいます。そう言った自分の演奏を制限時間の中で聴いていただきたいという趣旨の集まりです。

私の課題は、先日のレッスンで掴みかけたことを人の前で実行できるかということでした。

このパーティーの主催者の方(ピアノ専門の方)がピアノを弾いてくださるとのことで、楽譜を送って頼んでおきました。(今までもその時に合わせるだけで伴奏していただいていました。彼女はその方が次にどう歌いたいか瞬時に聴き取る能力に優れています。しかし今回の曲はよく知られていないのでちょっと不安はあったのですが)

合わせる時間がないので、当日リハーサル3分だけで、即本番でした。

最低限のこれとこれは伝えておくべきだと思ったことを、抽出しておきました。口頭で伝

えられることはリハーサル前に出来るだけ事前に伝えておきました。

そして1番合わせにくいだろうと思ったところを2回合わせて、2曲のテンポの確認でちょうど3分でした。

 

何しろお芝居の中の「詩」なのでそれを生かしたメロディー。言葉の特性。

そんなことを考えて、繰り返してもずっと同じことの繰り返しにならないように考えたので微妙なズレはあるのですが、それを瞬時に判断してちょっと頑張ってもらいました。

こんなこともこういう場であるから鍛えられるのだと思います。

歌いながら次にどうしたいかを伝える「あうん」の呼吸。

そして、できるだけ演奏の質は落とさずに、自分の考えたように演奏していただくこと、これはやはり1つの技術です。

今、カラオケが大流行りの時代で、機械の音楽に合わせて自分の歌も作っていく形になっていますが、(クラシックも、ポピュラーも関係なく…)自分はこう歌いたいのだという明確な意思を持って、相手の方にも伝えていく技術は必要だと思うのです。

しかしそんなことを考えていると、自分の課題を忘れそうになってしまうのですが……

私の課題は発声の技術に関することなので冷静に計算していなければならない部分があるのです。

 

反面、人前で歌うということは、やはりどちらかというとこう歌いたいということを前面に表現するという形になってしまうのです。そしてそういう風に歌いたいという気持ちをどのくらい我慢して、その技術を使うことが出来るかということが課題だったのです。

そうやって、ある時うまくいってこうやれば良いのだということが会得できると、実は身についていくのです。いつまでも練習の場だけでは解決できない問題もあるのです。

 

このパーティーの主催者で伴奏を弾いていただいた方に御礼のメールを出しましたら、音楽のついた戯曲のようで本当に楽しかったし、聴いている人にもそれは伝わったのではないかという返信をいただきました。ちょっと音楽の表現ということに関しては嬉しかったです。

しかし、歌ってみて、「今回の課題の達成にはちょっと中途半端だったなあ」と感じていました。録音を聴きましたら、一曲めから二曲めに移った時に少し会場のざわざわが小さくなったように思いました。少し会場の方がこの演奏に耳を傾けようとしてくれたのかなと感じました。ちょっぴり嬉しかったですが、全体が静かになるまでのインパクトはなかったのだなあとその録音を聴きながら思いました。

どんな場でも、演奏するということに無駄なものは1つもありません。

あれが皆さんの口が閉じて「ちょっと聴いてみよう」と思わせることができたらそれは大変なことです。いつかは至ってみたい所ではあります。それだけの魅力があったら素敵です。

この曲を演奏する第1の本番まで40日。第2の本番までにあと2ヶ月。まだまだやらねばならないことがたくさんありますし、大先生のレッスンの関門をくぐらねばなりません。

でもワンステップを踏み出した感じはいたします。

 

このパーティーの会場は素敵な高層建築のホテルの、ステキなバーなのです。

いつも演奏がらみなので、アルコールを飲んだことがないのですが、(ソフトドリンクとコヒー………)いつかは静かにお酒を飲んでみたい場所ではあります。

まあ、こんな調子では無理だろうな……。